近隣に蕎麦屋や茶屋などの商売も始めた
突然にやってきた終焉
『細うで繁盛期』では主人公の孫娘・加代に、商人の心得を説いた千栄子だが、この頃は実生活でもまた、後進の教育に熱心に取り組んでいた。
実子のいない彼女は、実弟の娘・輝美を養女に迎えている。彼女を次期女将に育てあげて「竹生」を継がせようとした。
この頃になると近隣に蕎麦屋や茶屋などを開店して、商売のほうも手を広げている。
仕出し料理店の「おちょやん」にはじまり、女優になってからも道頓堀の芝居茶屋の女中を兼業した。この仕事が好きで性にもあっていたようである。
生き生きと動きまわり、てきぱきと仕事をこなす働き者。彼女の仕事ぶりを知る人は、皆が口をそろえてこのように言う。
女優の仕事と同じくらいに、やり甲斐を感じていたのだろう。もしも、千栄子が女優になっていなければ、小料理屋の女将などで生涯を終えたのかもしれない。
60歳を過ぎてからは女優の仕事を抑え気味にして、自宅で過ごすことが多くなった。「竹生」のほうは養女の輝美が仕事を覚えて、千栄子の負担は少なくなっている。
それなら、もう少しのんびりして、庭でも眺めながら過ごしていればいいのだが……。子どもの頃から休みなく働き続けた人生だけに、何かをしていないと落ち着かない。この性分は一生変わらないだろう。
それでも、この家は千栄子にとって一番心安らぐ場所だったことは間違いない。
ひと仕事終えて居間に戻ってくると、すぐに猫が膝の上に乗って甘えてくる。自分にも他人にも厳しい彼女だが、猫にだけは甘い。自宅を建てた理由のひとつには、猫を飼いたかったということもある。これだけは譲れない。
猫には命を救われた。仕出し料理店で奉公していた少女の頃、主人から理不尽な𠮟責をうけて自殺しようと思ったことがある。
首を吊って死んでやろうと、便所に入り鴨居に帯を掛けた。ここで自分が死ねば主人も困るだろう。と、あてつけの気持ちもあった。
彼女の気性の激しさと常軌を逸した負けず嫌いは、時として我が身に危険が及ぶ暴走をしてしまう。この後も幾度か自殺をしようとして、寸前のところで思い留まっている。