京都・嵐山に自宅を兼用した料理旅館を建てた
愛着のある嵐山に構えた邸宅
庭園の樹木がやっと土になじんできたようだ。
庭園の一角にある山桜の古木は、もうすぐ開花の時期を迎える。この土地を手に入れた時、切らずに残しておいたものだ。もう少しすれば、竹林や嵐山を背景に映える満開の桜が楽しめるだろう。
「やっぱり、この土地を買こうて良かったわ」
千栄子は洛西の嵐山に土地を購入し、そこに自宅を兼用した料理旅館「竹生」を建て、住むようになっていた。仕事の好調もいつまで続くか、人生一寸先は分からない。料理旅館の経営はそのための保険である。女優の仕事がなくなっても、食べていけるように。と、いかにも苦労人らしい発想だった。
幸いなことに、いまのところ出演依頼はひっきりなしで、女優業は忙しくなる一方。多忙な日々は続いている。
そうなると、体のほうが持つだろうか……と、新たな不安が頭をもたげたりする。50歳を目前にして、疲れが翌日まで残ることも多くなった。
そんな時には、茶室から庭や嵐山の自然を眺めて過ごす。心身がじんわりと癒やされる。過酷な女優という仕事を長く続けるためにも、ここは必要な場所となっている。無理してでも土地を買ったのは正解だった。
千栄子は『アチャコ青春手帖』で女優に復帰するとすぐに、自宅を建てるための土地を探しはじめていた。
「私は、どうにかして、小屋でもいいから自分の家をと、寝てもさめても毎日思わぬ日とてはありませんでした」
当時の思いが『水のように』で綴られている。別れた夫の天外は九重京子の籍を入れて、家を購入し一緒に住んでいると聞く。20年の夫婦生活で一度も家を持とうとせずに、借家暮らしだった男が……。それが千栄子の怒りを再燃させた。
負けたくない。その思いに背中を押されて、決心したのである。
心落ち着く場所を欲してもいた。京都の借家に隠遁して半年が過ぎると、わずかな蓄えはほぼ消えてなくなった。
このままでは家賃も払えなくなり、借家を追い出され、宿無しの無一文になってしまうだろう。自分の持家ならば、少なくとも住む場所だけは心配せずにすむ。
また、借家の1階には大家の家族が住んでいる。店子は常に大家に遠慮して暮らさねばならない。玄関を出入りするたびに、こちらに向けられる人の視線が気になって落ち着かなかった。
せめて家のなかにいる時は、誰の目も気にせず落ち着いて過ごしたい。その思いは日増しに強くなっていた。