9歳の秋、キクノは大阪へ女中奉公に出された
好景気の時代、世間との格差はさらに広がる
道頓堀の運河に沿って東西に伸びる大阪随一の繁華な道筋。角座・浪花座・中座・朝日座・弁天座と「浪花五座」と呼ばれる大阪きっての有名劇場は、すべてこの道の南側に建っていた。そこから路地を入れば、小さな寄席があちこちにある。
通りの南側にある劇場と対峙するように、堀を背にした北側には芝居茶屋が軒を連ねている。当時の歌舞伎や芝居は長丁場、幕の間には長い休憩が入る。休憩時間になると客は芝居茶屋に移動して、酒を飲みながらゆっくり食事するのが常だった。
茶屋で出される料理はすべて付近の仕出し料理店が作っている。キクノはそこに女中として奉公していた。
客の注文を聞いて、決められた時間に芝居茶屋まで料理を運ぶのが、彼女たちの仕事。界隈を歩いていれば、前掛けに筒袖の女中スタイルで、料理の入った重箱を両手にかかえながら、忙しそうに駆けまわる娘たちをよく見かける。
2020年度後期のNHK朝の連続テレビ小説『おちょやん』は、年若い女中を意味する古い大阪弁である。9歳のキクノはおちょやんたちのなかでも、とくに小さく幼かった。
そういえば、吉本興業を創業した女傑・吉本せいが、道頓堀のひとつ裏手の路地に南地花月をオープンさせてお笑い王国の礎を築いたのも、ちょうどこの頃だった。
朝ドラのヒロインたちが、同時期に道頓堀界隈にいたというのも興味深い。どこかですれ違っていただろうか。しかし、すでに数ヵ所の寄席を経営する、大阪でも知られた女興行師が、キクノに気を留めるようなことはない。
大正期になると新派の演劇や漫才などが流行るようになり、興行の世界もバラエティ豊富になってきた。
江戸時代から続く歌舞伎や浄瑠璃などは「古臭い」といった感じになってくる。
しかし、そこに価値も生まれる。下世話なネタで笑わせる落語や漫才とは違って、長い歴史に育まれた芸術性がある。と、支持する粋人は多い。「大衆芸能」と「一流の芸術」。多様化した演劇界には、そういった階層ができあがる。
目が肥えた昔からの旦那衆にくわえて、権威に弱い成金たちも「一流」を求めて劇場へ通うようになる。また、ふだんは裏路地の寄席で落語や漫才に腹を抱えて笑っている者たちも、たまには歌舞伎を観て一流の空気を味わいたくなってくる。
歌舞伎は道頓堀にある浪花五座など格式のある大劇場で公演される。小さな寄席と比べれば木戸銭は高い。しかし、高額チケットもまたステイタスになる。
バブル経済期、各地の自治体は競って豪華な文化施設を建設し、何十億円も使って世界の名画を買い漁る企業もあった。人々も観劇や芸術鑑賞に金を惜しまなかった。文化や芸術は、好景気の余裕のなかで花開くものだ。キクノが仕出し料理店で奉公するようになった大正5年の頃は、ちょうどそんな時代だった。
日本は第一次世界大戦の戦争景気にわいていた。