小学校に通えたのはだらしない継母のおかげ
「普通の子ども」の夢はあえなく潰えて……
8歳の頃、父の再婚によりその夢が叶った。相手は富田林の街中にある居酒屋で働く女性だったが、
「悪妻の見本のような人」
と、キクノは軽蔑していた。家事はほとんどやらず、嫁入りの時に携えてきた三味線を弾きながら遊興に耽っていたという。
自伝『水のように』には、彼女を苦しめた悪人やダメ人間も多く登場してくる。そんな人々に対しても、感情を自制して悪口を控えながら書いている印象。だが、この継母にだけは容赦がない。
東板持と富田林は隣近所といった距離ではあるが、「村」と「街」は実際の距離以上にすべてがかけ離れていた。
生活習慣もまったく違う。居酒屋勤めの女性なだけに、仕事は夜遅くまで。当然、朝は遅くなる。夜明けとともに起きて働く農村とでは「時差」が大きい。その違いが、キクノの目には自堕落と映り、嫌悪感を覚えてしまった。
しかし、キクノが小学校に通えるようになったのは、このだらしない継母のおかげだった。それは間違いない。丘陵へと続く上り坂の通学路が、天国へと通じる階段のように思えたことだろう。
板茂神社境内へ通じる参道は竹藪に囲まれていた。昼間も薄暗く、油断するとすぐに藪蚊が襲来してくる。
藪を抜けると、丘陵の頂にある境内。頭上には空が見えた。祠の近くに建っている小さな木造校舎は、陽の光に照らされている。彼女にはそれが、希望の光にも見えた。
キクノは学習の遅れを取り戻そうと必死で文字を学ぶ。いろは四十七文字で、書ける字は数える程度。教科書を読むことができず、教師は呆れ、底意地悪い級友たちにからかわれる。
小学校に入れば「普通の子ども」として認められると思っていたが、甘かった。蔑まれることは変わらない。教室内には隠れる場所もなく、四方から冷笑を浴びせられる。状況はさらに厳しくなっていた。
しかし、学校に通うことはやめない。文字をすべて覚えて自由に読み書きできるようになれば、誰にも笑われない「普通の子ども」になれる、と。
人並みはずれた忍耐力や向上心は、境遇により育まれたものか。それは後々、生存競争の激しい芸能界で生き残るためには、不可欠の資質でもあった。
新しい女優や俳優は続々とデビューするが、製作される映画の本数は限られている。切磋琢磨することを怠れば、すぐに飽きられて忘れられてしまう。