超大企業の元副社長の「大きな悩み事」
■エピソード2
自分が認知症になっていくことを自覚して苦悶
Bさんは92歳の男性入居者。一流の上に“超”がつく大会社の元副社長さんです。
若い頃は柔道選手としても活躍し、一時はオリンピック日本代表の候補者にもなったほどの強者でした。まさに、文武両道とは彼のことを言うのではないでしょうか。普段の彼は、いたって紳士的。特に年齢から考えると珍しいぐらい女性に優しいおじいちゃんです。私の経験値だけで申し上げると、高齢者の男性の中には、明らかに男尊女卑の思想を持っている人は、珍しくありませんが、しかし、彼は常にレディーファーストで女性入居者や女性職員に接しています。
そんなBさんの悩みごとは何か? それは、認知症になっていくことを自身が一部自覚でき、その恐怖感にさいなまれていることでした。夜になると「私の頭は狂っているようなんですが……?」と言いながら、職員に助けを求めてきます。職員はいつも「心配は要りませんよ。あなたの頭は、けっして狂ってなんていませんから」と説得します。そのつど、Bさんは「そうですか? それを聞いて安心しました」と自室に戻っていきます。しかし、また、しばらくすると、自室から職員のいるところまで来て「最近どうも頭がおかしくなっているようなんですが……?」と救いを求めてきます。
「頭がおかしくなって」という訴えは、日に日に回数が増していきます。当初は、数日に1回夜間だけだった訴えが、半年もすると毎晩になり、今では朝、昼、晩、そして寝る前にと、何度も何度も訴えてきます。職員は、そのつど、安心させるような言葉を掛けますが、多くの入居者の世話を一緒にしなければならない老人ホームの限界もあり、時には、訴えに対し、適当に答えてしまう時もあります。
私は、日々、彼の言動に触れながら次のような仮説を考えました。それは、人はある日突然、認知症になり、問題行動を起こすわけではない、ということです。人により違いはあると思いますが、人は、徐々に認知機能が衰え、認知症に侵されていきます。Bさんは、認知症のかかり始めだったのです。そして残酷なことは、彼は、自分が認知症になっていくことを、何らかの形で自覚することができていた、ということです。だから、私たちに対し「自分は頭がおかしくなっていく」と、訴えていたのです。