周囲から愛される認知症状が出現
ある日突然、何もわからなくなってしまえば、それはそれで幸せなことかもわかりませんが、彼は、一日のうちで、ある瞬間に自分の頭が壊れていく、おかしくなっていくという自覚をしながら、しかし、自身ではどうすることもできないことも自覚しながら、自分が壊れていくことを経験していたのだと考えます。
彼の立場に立って考えた場合、それはそれは恐ろしいことだと推察することができます。もし、私だったら、と考えた場合、壊れていく自分を認識しながら打つ手がないことに対する恐怖心は、想像しただけでも恐ろしく、恐怖心から逃れるためには、早く認知症になってしまい、何もわからなくなったほうが良いのではと考えてしまうと思います。
結局Bさんは、1年の歳月をかけて、完全に認知症になってしまいました。しかし、徘徊をするとか、暴力を振るうとか、周囲の人に迷惑をかけるような症状はまったくありません。どちらかと言うと、周囲から愛される認知症状が出現しています。
「すいません。私の入れ歯を知りませんか。どこかになくしてしまったようなんですが」と職員に声を掛けてきます。「入れ歯は口の中に入っていますよ」と職員が言うと、口の中に手を入れ、入っている入れ歯を確認すると「よかった。口の中に入っていました」と満面の笑顔で職員にお礼を言います。毎日毎日、この行動を5回も6回も繰り返し、そのつど、安心して満面の笑顔で職員にお礼を言うのです。心配なことがあると、職員に訴えてきますが、心配ないことを職員が伝えると、素直に職員の助言を聞き入れて従うという従順さがあります。したがって、多くの職員から煙たがれるような存在ではありません。
一つだけ、気がかりなのは、もともと回数が多かったわけではなかった家族の訪問が、主治医から正式に認知症と診断され、薬を服用するようになったタイミングで、息子や娘の訪問回数が激減してしまったことです。家族間にも、私たち他人にはわからない葛藤があるのだと思います。現役時代に立派だった人ほど、人生の店じまいの方法も難しいということなのでしょうか。
小嶋 勝利
株式会社ASFON TRUST NETWORK 常務取締役