長屋の1軒に住む鮎川健一郎さん(73歳)は、5万円の家賃を滞納し続けていた。その額はすでに70万円を超えていたため、建物明け渡しの手続きが進められていったが、裁判当日、鮎川さんは答弁書も出さず、裁判所にすら出廷しなかった。そこで家主は「強制執行」することを選択したのである。※本連載では、章(あや)司法書士事務所代表・太田垣章子氏の書籍『老後に住める家がない!』(ポプラ社)より、高齢者の賃貸トラブルの実例を挙げ、その実態に迫っていく。

「鮎川さん? 今日、強制執行って知っていた?」

強制執行で室内の荷物が撤去される日、鮎川さんは不在でした。執行官は室内に立ち入り、補助の人たちの手で荷物がどんどん運び出されます。40m2ほどの室内のどこにこれだけの物が収まっていたのか、そう不思議に感じるほど物が出てきます。

 

たとえばテニスボール。スーパーの買い物かご5つ分ほどありました。ビニール傘。使えないような物も含めて、60本以上はあったでしょうか。スーパーの買い物かごも、何カ所かのスーパーから持ち帰ったのか、種類の違うものを合わせて30個ほどもありました。ゴルフボールも、ゴロゴロとスーパーのかごに入っています。

 

自転車は3段に重ねられたところもあり、狭い敷地ながら建物をぐるっと囲むように80台ほどが置かれていました。これまでも何度か市が自転車を撤去したこともあるので、結局鮎川さんは百台単位の自転車に乗って帰ってきたことになります。

 

「収集癖だな……」

 

執行官が呟いたその時、新たな自転車に乗った鮎川さんが戻ってきました。

 

「鮎川さん? 今日、強制執行って知っていた? もう部屋には入れないよ」

 

執行官が声をかけましたが、鮎川さんから反応はありません。一瞬現場は凍りつきました。完全に認知症なら、強制執行するかどうかの判断になるからです。

 

「どないしたん?」

 

緊張感で固まった空気を、一人のおばちゃんの声が打ち破ります。

 

「もう家入られへんねん」

 

鮎川さんは事態を把握しているようです。今までずっと無言だったのに、顔見知りの女性とは話をするようです。

 

「ほな、ウチの家おいで」

 

そう声をかけられ、拍子抜けするほど簡単に、次の住処が見つかりました。

 

執行官が身の回りの物を持っていかなくてもいいのかと声をかけましたが、その問いかけも届かなかったのでしょうか。鮎川さんは、まさに着の身着のままの状態で、自転車館を後にしました。

 

自転車が取り除かれた長屋は、その全貌が露呈され、今にも崩れ落ちそうな勢いでした。

 

長屋は、今にも崩れ落ちそうな姿だった
長屋は、今にも崩れ落ちそうな姿だった

家主がホッとしたのもつかの間…警察から電話が

家主は滞納された家賃の回収も期待できず、鮎川さんに退去してもらうために訴訟と強制執行の手間と費用がかかりましたが、それでも近隣に迷惑をかけることなく終えられたことにホッとしたようでした。

 

「建物は、阪神大震災でもダメージ受けただろうからね。倒壊でもしたら大変。自転車だってあれだけ積まれたら、廃墟と思われて放火でもされたら一大事だったから。相続で不動産を承継したけど、正直、面倒なことを押し付けられた気がしますよ。とにかくすぐに取り壊します。それからどうするかは、ゆっくり考えます」

 

新米家主にとっては、強烈パンチだったのでしょう。やっと解決して、心から喜んでいるようでした。

 

「自分もこの長屋の家賃収入で大学まで行かせてもらったのだろうから、軽く賃貸経営っていいなと思っていましたが、建物も入居者も歳とっていくってこと、初めて分かりましたよ」

 

そう言ってホッとしていた家主は、建物が取り壊された頃に、また警察から電話を受けることになるのです。

 

次ページは:「警察でご飯を食べるために」万引きを繰り返す…

 

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