父、風呂から出られず救急車騒動
そんな矢先、事件が起きた。2016年2月のことだ。夜、母から「お父さんが浴槽から出られなくなった」という電話がきた。溺れているわけではないが、自力ではまったく立ち上がれない。85㎏の巨体を母がひとりで引き上げることもできず。東京から私が助けに行くにしても、1時間半はかかる。このままでは父の体は冷え切る。お湯の温度を保つにしたって、逆にのぼせてしまう。仕方なく救急車を呼ぶことになった。父の筋力低下は、おそるべき勢いで進んでいたのだ。
実は、その後も同様の状況になり、計3回も救急車を呼んだという。迷惑千万な話だ。うち1回は母が動揺し、間違えて警察にも電話をしてしまった。制服を着た警官が何人も家にきたそうだ。「介護を苦に夫を殺害計画か」と、疑われたに違いない。
これを聞き、姉と私は本格的な介入を決意した。長年の過保護は人間から自立心と意欲を奪う。ひとりで頑張ってきた母を責めるつもりは毛頭ないが、昭和的な夫婦の在り方は、悲劇の温床だと思った。
まず、母が地域包括支援センターに電話をかけ、浴室事件のあらましを説明。センターのスタッフが自宅に来てくれて、浴室内の介助用具を導入することになった。介助・介護用具専門業者がいて、分厚いカタログも見せてくれる。実際に、何が必要なのか、父の動作を確認しながら検証。浴室に手すりをつけ、浴室内の椅子と浴槽内の椅子、滑り止めマットが必要だとわかった。
父の動作確認をして、ちょっとびっくりした。「どう考えてもそこにつかまったら、危ないでしょ? というか、つかめないでしょ?」というところをつかもうとする。想像してみてほしい。浴室の壁についた小さなスイッチパネルを。丸めて立てかけた風呂のフタを。とりあえず視界に入った小さな突起物や、確実に不安定なモノをつかもうとしたのだから、思わず「危ない!」と声が出てしまった。
しかも一度つかんだところはなかなか離そうとしない。危険を察知することも回避することもできず、いったん動かした手足を元に戻す指令もうまく伝わらない。認知の歪(ゆが)みとはこういうことか、と慄(おのの)いた。
介護保険が使えるといっても、手すりなどの大がかりなモノは、万単位でお金がかかる。また、浴室やトイレの構造によっては、手すりを設置できない場所もある。マンションでは壁に穴を開けられない箇所もあり、欲しいところにつけられないジレンマもあった。大枚はたいて設置しても、本人がまったく触りもしない、という悲劇も起こりうる。
用具によっては月額数百円というレンタルも多いので、購入ではなく、とりあえずレンタルで様子見を。決して専門業者の言いなりにならず、本当に必要なモノだけを最小限に、から始めたほうがいい。
もうこのあたりから、金のニオイがし始めるわけだ。
【第1回】「かってきたよ゜」父のメールに、認知症介護の兆しが見えた
【第2回】垂れ流しで廊下を…認知症の父の「排泄介護」、家族が見た地獄
吉田 潮