「死ぬまで安心」の理想の老後を達成するには?
ここでは思い切って「理想の老後」というのを描いてみましょう。『70代は「来ない」かも…会計学教授が語る「老後対策の原点」』で、老後に必要なのは「少なくとも金融資産が3,000万円と築20年以内でローンのない自宅」ということを書きましたが、ここでは理想をもっと追求してみます。
ローンのない自宅はもちろんとして、金融資産が「1億円か2億円ある」というのが理想です。そして、そこから資産所得が生まれます。株式配当か家賃収入です。それは税引き後の利回りで3%以上あるのが理想です(ここでは利回りは3%として話を進めます)。
そうすると、資産所得が300万円以上か600万円以上はあるということになります。この資産所得に加えて、一応いくらかの年金も入ります。遠い将来は、年金財政はあてになりませんが、当面は(向こう10年か15年くらいの間は)少なくとも年額で200万円くらいはもらえそうです(受け取れる金額は、掛け金の多寡や各人の事情によってもちろん異なりますが)。
なお、年金収入が将来減額された場合には、その分は資産の食いつぶしでカバーします。そうすると、老後の家計所得は税引き後で500万円か800万円になります。
そして、老後の支出は、この家計所得の範囲内になるように調整します。老後の家計所得が税引き後で500万円か800万円あれば、よほど贅沢な生活をしなければ、家計収支は黒字になります。これで死ぬまで安心です。
さて、いざ夫婦がともに死んだ後はどうなるのでしょうか。1億円か2億円ある資産は、「子孫に遺す田畑」のようなものとして、子供に遺すことになります。ちなみに、私は若い頃から「児孫の代に美田は遺さず」ということを肝に銘じて生きてきました。ですから、少し前までは「きれいに使い切って死にたい」と考えていたのです。
しかし、人間はいつ死ぬかわからない生き物ですから、ちょうどうまい具合に「きれいに使い切って死ぬ」のは至難の業です。
一方、最近気づいたことがあります。それは、財産を「きれいに使い切って死ぬ」というのは「貧乏マインド」だということです。すなわち、たとえば1億円とか2億円とかをもったまま死んだほうが「お金持ちのまま死ねる」「死ぬまでお金持ちだった」ということなので、やはりそのほうがいいということに気づきました。
ですから、財産の元本部分まですべて使い切ることはあまり考えずに、家計所得の範囲で優雅に老後生活をエンジョイしたほうがいいでしょう。
なお、年金収入が減額されたり、医療費などがかさんで支出が想定外に増えたりした場合には、これは仕方ないので1億円か2億円ある資産(=元本)を少しずつ取り崩していけばいいのです。毎年200万円くらいを取り崩していっても、50年~ 100年はもつわけですから。また、もしも遺したい子孫がいない場合には、夫婦がともに死んだ後には、残っている元本部分はどこかに寄付することにすればいいでしょう。
資産の「氷山」を作り、受け継いでいく
要するに、「1億円か2億円ある資産」は「氷山」のようなものです。氷山は、ほんの一部分しか水面上にその姿を現していないのです。それが3%の配当と家賃収入です。水面下に潜む大きな部分が元本部分であり、そういった氷山のような構造を創り上げておくことによって、老後の生活が未来永劫にわたって盤石なものになるのです。それが理想形なので、きれいに使い切って死ぬなどということは考えないほうがいいと思います。
ざっくりですが、たとえば夫婦のうちどちらか長生きしたほうが82歳で死ぬとします。そして、一番年上の子供との年齢差が30歳とすると、親が両方死んだときの(一番年上の)子供の年齢は52歳ということになります。そうすると、時期的な意味では、子供が老後対策のたけなわの歳になったときに、親の「氷山」を受け継ぐことによって、子供の老後対策がとても有利になるわけです。
親の「氷山」は相続財産ですから、もちろん相続税も課されますし、子供が何人かいれば、その人数で分割して相続されるので、受け取る子供の側としては、「氷山」は充分な金額にはならないかもしれませんが、かなり大きなサポートとして次世代にも「氷山」の機能を発揮してくれることになるでしょう。
ただし、この世を去る前に、子供には「受け継ぐ大金を散財するのではなく、きちんと老後対策の一部として(「氷山」の土台として)大切に受け継いでいくように」といった「帝王学」を授けておく必要があります。
榊原 正幸
青山学院大学大学院 国際マネジメント研究科教授