本州瓦斯の社員・涼太、経営企画室(ケーキ室)へ移動になる

入社5年目の佐々木涼太は、本社の経営企画室に移動・新プロジェクトへ参画することになった。社長から、集められたスタッフに対し「経営の起爆剤になってほしい」とのスピーチがあったが…。※複雑で難しいM&Aや事業再生の基礎知識が、ライトノベルで学べる! 総合エネルギー出版社のエネルギーフォーラムから登場した新しいノベルズのジャンル、〈ビジネス・ライト・ノベル〉。作家の江上剛氏、鈴木光司氏、高嶋哲夫氏が選考委員を務めるエネルギーフォーラム小説賞第5回受賞作、『M&A神アドバイザーズ』(山本貴之著)を、連載形式で一部紹介。

 

 

 (物語の主な登場人物は、ここをクリック) 

 

苦節五年目、ようやく回ってきたオーシャンタワー勤務

七月に入って間もなく、涼太は川崎課長に呼ばれた。

 

「お前、急に異動になった。次は、本社のケーキ室というところだ。来週から、そちらに出社しろ」

 

「ケーキ室ですか。計器とかメーターとか管理する部署ですか?」

 

涼太が頓珍漢(とんちんかん)な質問をすると、川崎課長は鼻で笑った。

 

「経営企画室の略称だよ。総務部にあった企画室を外に出して社長直属にするそうだ。メンツも大幅に入れ替えて、ほとんど外人部隊で構成するらしい。関連事業部からも人を出せと言われて、お前に行ってもらうことにした。後任はしばらくこないが、久保がいるから、引き継ぎは久保と相談しておけ」

 

苦節五年目にして、ようやくオーシャンタワー勤務が回ってきた。ケーキ室と聞いて、思わずイチゴが乗ったショートケーキを連想した涼太は、何の脈絡もない甘い夢を描きつつ、慌てて机の整理を始めた。

 

その週末、涼太はフィットネスクラブに顔を出した。いつもはマシンで汗を流し、プールで軽く泳いで帰るメニューだが、今日は時間に余裕があるせいか、ヒップホップでも踊ろうと、スタジオを覗いてみた。

 

満員のヨガ教室のスタジオの奥に、一回り小さなスタジオがある。エアロビが終わり、まだ次のレッスンには、だいぶ間があるが、誰もいないフロアで少し身体をストレッチしようと足を踏み入れた。

 

誰かいるようだ。

 

タ、タタン、タタタン、タタッタン。

 

軽快なリズムが聞こえる。靴が床を弾く音。

 

タップダンスだ。

 

鏡の前で一人の女性が踊っている。上半身を軽くスイングしながら、軽やかに足を踏み鳴らしている。すらりとした美しい足が伸びて、鞭のようにしなって床を打つと、ジャンプしながら、タタタンと連続して白い床板を蹴った。身体を大きくのけぞらせたかと思うと、しなやかに手が伸びて足が舞う。また床が鳴る。

 

ターン、タタン、タン。甘美で完璧な踊り。隙がないが、余裕がある。切れが鋭く、それでいて遊びがある。アートだが、エンターテインメントでもある。

 

涼太は、ぼうっと見とれていた。

 

白く整った顔立ちに、背中の割れたダークグレイのレオタードが似合う。長い黒髪を淡いピンクの髪飾りで束ねて、腰にはベルト代わりに同じピンク色のスカーフを巻いている。彼女は見られていることを知っているが、見られることに慣れてもいる。プロだ。

 

きっとスタジオのインストラクターの一人に違いないが、見たこともないような超一流のタップダンサーが、なぜ浜松のフィットネスクラブにいるのかわからない。

 

一曲踊り終えて、ワイヤレスイヤホンを外しながら彼女が振り返った。一瞬魅了するような切れ長の目で涼太を見て、通った鼻筋の下、紅い唇からふうっと息を吐いた。

 

涼太は、慌ててスタジオを出た。

 

彼女は、どういう人だろう? と一晩思い返しているうちに、月曜日がきて、オーシャンタワーに初出勤となった。

 

オフィス棟の中層階に行くエレベーターに乗ると、ケーキ室のあるフロアで降りたのは、涼太のほかに男が二人。

 

一人は、やや長身の初老の男性。上質の紺のスーツを綺麗に着こなしているが、ネクタイが少し派手だ。黒地に飛行機のプリント柄である。よく見ると、カフスボタンも銀の飛行機だ。

 

もう一人は、同年輩だが、中肉中背でがっしりした体つき。目つきが鋭い。ジャケットの下は、白い開襟シャツだ。

 

その二人の後に続いて『経営企画室(経企室)』という表示の看板が立った、窓のない会議室に入った。この周りは役員用の会議室で人影はない。

 

部屋の中には、女性が二人席に座っていた。

 

黒いスーツに白いブラウスの緊張した面持ちの若い女の子。

 

もう一人、紺色のスーツ姿のやはり若い女性が、こちらを振り向いた。やや童顔。目がくりっとしていて、かわいらしい口元。

 

あれ、どこかで見たことのある面差しだ。

 

再びドアが開き、涼太たちに一瞬遅れて、もう一人白いスーツ姿の女性が入って来た。

 

すらっと歩く姿が綺麗で、近づくと、かすかにしとやかなフローラルの甘い香りがした。涼太は、驚いて目を見開いた。昨日、完璧な踊りを見せたプロのタップダンサーだった。

「皆さんには経営革新の起爆剤になっていただきます」

「まもなく社長が見えます」

 

秘書室のスタッフが伝えると、すぐに美奈子社長がケーキ室(経企室)の部屋に入って来た。

 

四十歳の手前、つまりアラフォーと聞いていたが、年齢よりはずっと若く見える。綺麗な顔立ちだが、化粧は少し濃い。心なしか紺のスーツの肩が張って見える。連日の挨拶回りに加え、出張や会議で疲れているに違いない。

 

話し始めると、やはり経営者としての威厳と落ち着きを感じさせる。

 

「私は、わが社の将来に強い危機感を抱いています。もちろんわが社には、先人の築いた素晴らしい伝統と立派な資産があります。しかし、まもなくエネルギーのシステム改革※1が本格化し、電力会社は『ガス&ライト※2』と称して、着実にわが社の市場を奪いにきます。それ以上に、これからはビッグデータ※3やAI(人工知能※4)の活用でビジネス環境がどんどん変わって、エネルギー分野にもさまざまな業種の企業が競争相手として参入してくるでしょう。ESG※5やSDGs※6などが浸透し、温暖化対策もさらに進めなくてはいけません。

 

当社は、これまで少しのんびりし過ぎていたように思います。皆さんには、わが社の経営革新の起爆剤になっていただきます。イノベーション※7の波を起こし、事業の飛躍的な発展を促すような計画を練って、それを実現していただきたいと願います。ここに六人のスタッフに集まっていただきました。もう一人、技術本部からも人を送ってもらうよう頼んでいます。早速、今日から始動してください。では、波多野(はたの)キャプテン、よろしくお願いします」

 

※1 電力・ガスといった事業ごとの縦割り規制を改め、小売りや託送、調達といったレイヤーごとにエネルギー市場を区分し、競争を促進して利便性を高め、産業構造を変革しようとする動き。二〇一三年に閣議決定された「電力システムに関する改革方針」に基づく。

 

※2 エネルギーのシステム改革を受けて、電気事業者がガス事業に、あるいはガス事業者が電気事業にも進出し、これらを一体的に供給展開しようとする経営戦略。海外では一般的に行われており、「ガス&パワー」ともいう。

 

※3 インターネットの発達や、コンピューターの性能向上によって生成された大容量のデジタルデータ。これらを活用して新たなビジネス展開を目指す動きが注目されている。

 

※4 Artificial Intelligenceの略。言語を理解し、論理的に推論するなどの知的能力を備えたコンピューター。大量のデータから学ぶディープラーニングなどの普及により、飛躍的に能力を高め、ビッグデータを高速処理することで、技術革新をもたらすと期待されている。

 

※5 Environment(環境)、Society(社会)、Governance(企業統治)。企業や機関投資家が持続可能な社会の形成に寄与するために経営や投資において重視すべき三つの要素とされる。

 

※6 Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)の略。二〇三〇年を目指して国連が提唱する世界を変えるための十七の目標。エネルギーの安定供給や、クリーンエネルギーの導入、気候変動対策などが盛り込まれている。

 

※7 Innovation。経済成長の原動力となる技術革新。

 

美奈子社長は、飛行機ネクタイの男性を波多野キャプテンと紹介した。

 

「波多野です。ニューヨークでファンドマネジャー※8をやっていましたが、縁あって、今日からこちらのプロジェクトに参画することになりました。どうぞよろしく」

 

※8 投資家から資金を集め、これを成長企業などに投資して運用する金融の専門家。

 

そして、手元の名簿を見ながら、簡単にメンバーを紹介した。

 

「まず、こちらは天野(あまの)警部。静岡県警の元刑事ですが、情報収集のプロということでチームに加わってもらいました」

 

目つきの鋭い開襟シャツは元刑事か。なるほど、と涼太が頷くと、次にプロダンサーを指した。

 

「真白由紀さん。インベストメントバンカーでM&A※9の専門家」

 

※9 合併(Merger)および買収(Acquisition)の略。企業や個人が、その保有する株式または事業を譲り渡す、あるいは相手方より譲り受けること。近年、わが国でも、この取引が活発化しており、経営戦略の重要な選択肢となっている。

 

えっ、タップダンサーとかミュージカル女優とかじゃないんだ。真っ白な雪って本名かな。由紀と雪を混同して慌てた涼太は、ちらっと由紀を見た。整った顔立ちに昨日と打って変わった清楚な装いで、一〇〇パーセント正統派の美人キャリアウーマン。二十代後半、いや三十ぐらいかな。でも今日の雰囲気は間違いなく触れれば切れるバンカーだな。この人は、一体いくつの顔を持っているのかな、と一人で自問自答した。

 

「関連事業部出身の佐々木涼太君」涼太は、慌てて立ち上がって頭を下げた。

 

「総務部の企画室からきてもらった桜井ひとみさん。財務分析が得意と聞いている」

 

思い出した。この子とは、この前、ゲームセンターで会った。対戦型ゲームで優勝したチャイナドレスのメイリーだ。

 

「それに、今年新人で入った安藤マリアさん。人事部から引っ張ってきた。以上六人に、来月遅れて技術本部から村瀬君がジョインする」

 

えっ、同期の静岡組の村瀬がくるのか。いつも偉そうに威張っている、いやなヤツだな。

 

顔合わせが終わると、波多野キャプテンが早速、指示を出し始めた。

 

「警部は、静岡県東部の都市ガス業界を調べてくれ。具体的には、静岡の東側、清水から富士、御殿場を地盤とする清水ガス、沼津、三島から熱海、伊東、下田をカバーする伊豆ガスの二社だ」

 

「由紀は、海外のエネルギープロジェクトへの投資案件を探ってくれ。狙い目は、東南アジアの発電プロジェクト。それからアメリカのシェールガス※10の開発会社だ」

 

※10 シェール(頁岩)層に存在する天然ガス。地下深くにあり、高圧水で岩盤を粉砕することにより採取する。

 

「ひとみと涼太は、子会社、関係会社の一覧表を作り、収益率や本体とのシナジー効果※11を分析してくれ。特に本瓦斯病院と本瓦斯ヘルスケアの二社は要注意だ」

 

※11 相乗効果。M&Aなどにより統合された企業や事業が、単独で行うよりも大きな価値を生み出すこと。

 

「私とマリアは、当社の中期経営計画を練り直し、あわせて長期ビジョンを策定する」

 

「さあ、ぱっとやってくれ」

 

波多野が言うと、天野警部がにやっと笑った。

 

「キャプテン、出ましたね。ぱっと」

 

「そう、ぱっと目標を決め、ぱっと取りかかって、どんと成果を出す。『ぱっ、ぱっ、どん!』だ」

 

1959年静岡県浜松市生まれ。東京大学法学部卒業、米国ジョージタウン大学法律大学院修士課程(LLM)修了。国内外のM&Aアドバイザリー業務の統括を経て、現在はコンサルティング会社社長。『M&A神アドバイザーズ』で第5回エネルギーフォーラム小説賞を受賞。そのほかの著書に、『M&Aの「新」潮流』(編著)、『M&Aアドバイザー』(以上、エネルギーフォーラム)がある。

著者紹介

連載エンタメ企業小説で学ぶ「事業再生」の基本~『M&A神アドバイザーズ』より

M&A神アドバイザーズ

M&A神アドバイザーズ

山本 貴之

エネルギーフォーラム

新たなる小説ジャンルとして登場した「ビジネス・ライト・ノベル」。エンタメ企業小説を読んで、事業再生の基本が楽しく学べる! 作家の江上剛氏、鈴木光司氏、高嶋哲夫氏が選考委員を務めるエネルギーフォーラム小説賞第5回…

メルマガ会員限定記事をお読みいただける他、新着記事の一覧をメールで配信。カメハメハ倶楽部主催の各種セミナー案内等、知的武装をし、行動するための情報を厳選してお届けします。

登録していただいた方の中から
毎日抽選で1名様に人気書籍をプレゼント!
会員向けセミナーの一覧