「経営を革新するのがわれわれのミッションなんだぜ」
こうしてケーキ室の仕事がスタートした。
涼太は、自分がなぜ関連事業部からケーキ室にきたか、ようやく理解した。ようするにグループ会社経営の見直しである。幸いに社長から総務部経由で、ケーキ室の作業には全面的に協力するように関係部署には指示が行き渡っていた。さらに久保先輩があちこちの関係会社に声をかけてくれて、予想外に早くデータを集めることができた。
「なるほどね。安定的な収入を上げているのは本瓦斯不動産ぐらいで、建設工事会社や住宅販売会社は、年によってかなりアップダウンがあるな。ガス機器の販売会社や補修工事の会社は、本社のガス事業とは当然シナジー効果があるから、これは良し」
涼太は、ひとみと関係会社の資料を整理すると分析を始めた。
「ビル管理会社とか警備会社とか、なんとか黒字維持だね。やはり、フィットネスクラブとカルチャーセンターは苦しいか。大家の本瓦斯不動産に家賃を負けてもらっても水面下だ」
ひとみの資料作成と分析のスピードは速い。利益率の横並び表など、あっという間に作ってしまう。
「でも、金額はたいしたことないわ。広告宣伝と社会貢献を兼ねた文化事業と思えば、それほど深刻ではないかも」
「むしろ、介護事業って難しいのね。ニーズはあるのに、収益的にはギリギリだから」
「それよりも病院だ。こちらは毎年億単位で赤字を出して本社が補填している」
「でも、介護も医療も大事よね。特に地方は、これから高齢化社会だし」
「確かに、そりゃそうだな」
涼太は、結局、それぞれの事業には本瓦斯の関連事業としての一定の価値があると、ひとまず結論付けて、ケーキ室で発表した。
「ほう、それで」
一通り聞いた波多野キャプテンは続きを促した。
「いえ、ですから、経営効率化の余地はありますが、それぞれの事業の意義はあり、役割を果たしていると」
波多野は首を振った。
「あのさ、この前の社長の話、ちゃんと聞いてたの? 経営を革新するのがわれわれのミッションなんだぜ。まず、ゼロベースで見直すのが基本だろ」
波多野は、続けた。
「最初に、単体の利益率の数字で切る。次に本社と協働して稼ぐシナジー効果の数字で切る。さらに広告宣伝とかグループ全体の政策効果も数字に換算して切る。で、切られて残ったところにはメスを入れる」
涼太が黙っていると、波多野は、ひとみの方を見て聞いた。
「本瓦斯病院のベッド数は? その稼働率は?」
「八十床で、五割ちょっとです」
「急性期、それとも慢性期?」
「もともと急性期がメインでしたが、近年は慢性期が増えています」
「外来患者に占める当社の社員は?」
「一五パーセント以下です」
「入院患者は?」
「現役職員という意味でしたらゼロです。職員の家族でしたら一〇パーセントほど」
「じゃあ、逆に当社の社員の何パーセントが、あの病院を使っているの?」
「正確なデータはありませんが、ヒヤリングした感じでは五パーセント未満かと」
「それで、当社の福利厚生の要といえるの?」
ひとみが黙ってしまったのを見て、慌てて涼太が助け舟を出した。
「しかし、あの病院は、当社のコージェネレーションシステム※1を入れています」
※1 Cogeneration。熱電併給。ガスタービンなどで発電し、電力を供給するだけでなく、発電の際に生じる熱を用いて蒸気や温水を供給するシステム。
「ふーん、じゃ、エネルギーのスマートマネジメントシステム※2は?」
※2 ITを駆使してビッグデータを活用するとともに、AIを導入してネットワーク内のエネルギーを自動制御することにより、最適なエネルギーの利用環境を形成する次世代の仕組み(スマートグリッドのスマートとエネルギーマネジメントシステムを合体させた造語)。
「いや、そこまでは導入していません」
「つまり、あの病院は、設立された戦後まもなくの時期は日本全体に医療が行き届かない中で、当社社員の福利厚生の中核施設だった。それが時代の変遷とともに、医療の質も高度化し多様化し、社員も最寄りのクリニックや近代的な大型病院を頼るようになった。会社もそれを見て追加投資を絞り、施設は経営面も含めて次第に顧みられなくなっていった」
「でも、立地は駅のすぐ南側、歩いて五分です。それに、社員はともかく、やはり地域にとっては大事な施設かと」
関連事業部にいた涼太がプライドを見せて食い下がると、波多野は、にこっと笑った。
「そこだよ。だから、あの施設をもっと生かす方策を考えたらいい。何も本瓦斯グループにいることが病院を生かす唯一の道じゃない。もっと、有効活用してくれる持ち主を探すことも考えるべきだ。それに、そこで働く医師や看護師の雇用やモチベーションも大事だ」
なんだ、潰して更地にして売るわけじゃないのか。
涼太は、少しほっとした。
波多野は、また質問を始めた。
「この、介護サービスの会社、本瓦斯ヘルスケアは、なんで赤字なの。需要もあるし、介護は、いわゆる法定料金なんでしょ」
「人手不足です。介護士の方の定着率が悪く、特に最近は毎月何人も辞めているので、補充がきかず、サポートするお年寄りの数をデイサービスも訪問介護も絞っています」
「給与は、近隣の施設に比べて低いの?」
「いえ、ほぼ同水準です。ただ、全国展開している大手の介護サービスの会社に比べると見劣りします」
波多野は、改めて決算数字を見て何度か頷いた。
「いくつか事業の柱を持っていないと経営は危ないぞ」
七月も後半に入ると暑い日が続いた。そのような中で、初めてケーキ室が提案する議案を審議する経営会議が開かれた。
参加メンバーは、会長、社長、専務以下の社内取締役、常勤監査役らである。涼太は、メモ取りとして議場に入った。
波多野が議案を説明する。
「まず、当社の経営理念につきましては、『静岡県中西部に根差した総合生活企業として豊かな地域社会の実現を目指す』となっておりました。これを次の通り変更したいと思います。『わが国を代表する総合エネルギー企業として持続可能で豊かな社会の実現を目指す』」
あらかじめ議案は示されていたはずだが、会議の場では出席者から案の定ざわめきが漏れた。
「これを具体的に進めるため、中期経営計画を新たに策定し直し、連続的な施策と非連続的な施策の両方を進めます」
「具体的には、ガス事業の効率化と顧客満足度の向上をIT(情報技術)の積極的な活用によって進めます。いわゆるエナジーテックの推進です。これが連続的な施策」
これには、出席者も異論はない様子だった。
「次に、非連続的な施策です。まず、当社グループ企業の見直しをします。具体的には、本瓦斯病院と本瓦斯ヘルスケアの二つを売却します」
波多野が言ったとたんに、美奈子社長の隣にいた河津専務が思わず手を挙げた。
「ちょっと待ってくれ。経営理念を変える、祖業への回帰だ、と。その十分な論証もしないまま、いきなり何十年も世話になった病院を売るというのは、性急過ぎやしないか」
波多野は頷いて、答えた。
「確かに性急に感じられるかもしれません。しかし、エネルギービジネスの市場環境の変化の波は、すぐそこまできています。しかも、とてつもなく大きな波です。スピード感を持って、有効な手立てを次々に打っていかないと間に合いません」
「じゃあ、聞くが、病院と介護の売却が、なぜ有効なんだね?」
「新たな経営理念は、当社のコアビジネスたるエネルギーへの集中を謳いました。当社の経営資源は、無尽蔵ではありません。使い古された言葉ですが、今こそ『選択と集中』が重要です。また、次の拡大戦略に打って出るには、財務体質を改善し、手元資金を潤沢に持つことが大切です。病院を手放すことで赤字出血をなくし、介護ビジネスを売ることで数十億円の売却益と資金を得ることができます」
別の役員が尋ねた。
「じゃ、その金を何に使うのかね? 現預金で寝かせておくのか?」
「いえ、違います。その資金を使って、隣接するガス事業会社を買収します。まず、清水ガス、次に伊豆ガス。さらに、愛知ガスです。これでようやく、電力会社と競争できる最低限の体勢が整います。その後は、東の東西電力と提携し、西の本州電力を攻めます」
急に、何人もの役員同士が顔を見合わせた。
「おいおい、愛知ガスは大手三社の一角だ。うちのような中堅ガス会社が買える相手じゃない。それに、本州電力と争うなんてことができるわけがない。せいぜい共存共栄を認めてもらうのが関の山だ」
「いえ、小が大を食うM&Aは、いくらでも例があります。ようは、資金力と経営力です。もちろん簡単ではありません。スキームも含め相当知恵を絞る必要があります」
ここまできて、出席役員は全員が黙ってしまった。
しばらく静かな時間が流れた。
おもむろに、先月まで社長だった波岡徳太郎会長が口を開いた。
「本業回帰はいいが、そもそも当社は、新たな事業の柱をつくろうとして顧客に近い生活分野で多角化を図ってきた経緯がある。この先、何があるかわからない。いくつか事業の柱を持っていないと、経営は危ないぞ」
波多野は頷いて答えた。
「おっしゃる通りです。ですが残念ながら、いま展開している企業群には新規事業の柱となるものが見当たらないようです。これは、このたび各社の経営データを極めて詳細に分析した結果から言えます。むしろネットとモノがつながるIoT※3の中で、ビッグデータやAIとエネルギー事業を融合させて、当社の強みとなるビジネスを新たに構築していくことが肝要かと思います」
※3 Internet of Things。すべてのモノがインターネットで接続されて情報やデータを有効活用できる仕組み。
「わかった。いいだろう。ただ、介護ビジネスはともかく、病院の方の売却はちょっと考えさせてくれ。時間は取らせない。・・・さて、社長はどうですか?」
波岡会長に促され、初めて美奈子社長が発言した。
「私が経営企画室を設置し、いま説明させたようなプランを作成させたのは、当社の経営の先行きについて大変な危機感を毎日感じているからです。地域独占と総括原価方式※4で守られた時代は去りつつあります。なんとかわが社の経営を変革させて企業価値を高め、次の発展に向けた土台を築いていきたいと切に願っています」
※4 事業を効率的に行った場合の供給原価に、適正な利潤を乗せて売値とする料金の決め方。電力料金やガス料金といった公共料金に多く使われているが、電力・ガスのシステム改革により今後見直される方向にある。
こうして経営会議は、新たな経営理念とグループ会社再編案を採択して、散会となった。