世界的に過熱するAI開発競争。そのなかで日本のAI開発は周回遅れになっていると度々指摘されてきました。本連載は、囲碁AIの研究開発を行う福原智氏の著書『テクノロジー・ファースト』(朝日新聞出版)から一部を抜粋し、筆者が囲碁AI開発を続けるなかで感じた国内AI業界が抱える問題点について紹介していきます。今回は官民一体となり進められた日本のIT産業が敗れた理由を考察します。

日本のIT産業が世界に負けた「3つの」象徴的事例

これまでの連載で見てきたように、アメリカや中国をはじめとする各国は、産業革命4.0に備えてAI研究、ビッグデータの収集に邁進(まいしん)している。人口が13億を超す中国は、それだけでビッグデータの収集に優位にあるのは言うまでもない。アメリカでさえ中国の脅威が議論されるようになっている。

 

それに比べて日本国内の危機感はあまりにも薄いという気がする。

 

日本企業がAIやIoT、ブロックチェーンに関心がないと言いたいわけではない。関連書籍はベストセラーになっているし、IT関連の展示博覧会は大げさなほどの盛況ぶり、お祭り騒ぎのフィーバー状態といえるくらいである。私もいくつかの展示会に行ったが、見回すと多くのブースに「AI導入」「ビッグデータ活用」といった文字が踊っていた。来場者の数も多く熱気もある。

 

この光景にも、私は違和感しか抱けない。かつてのよく似た光景がフラッシュバックするせいだ。

 

あれは、小渕内閣が始め森内閣が引き継ぐかたちとなった国家的なIT化推進戦略のころだ。2000年9月に打ち出された「e-Japan戦略」は、官民一体となって、インターネットに関わる法律と環境を整備し、現在でいうスマートな社会の実現で経済成長を目指すものだった。スマートな社会について当時の森首相は、第150回国会の所信表明演説で次のように述べている。

 

「我々の目指すべき日本型IT社会は、すべての国民が、デジタル情報を基盤とした情報・知識を共有し、自由に情報を交換することが可能な社会であります」

 

この戦略の一環でスタートした仕事に私も携わっていた。家の冷蔵庫で卵がなくなったら、勝手に卵を注文しますといったようなサービスのプロモーション動画をつくった。おそらく何かの展示会用だったと思う。結果はご存知のとおり。未だにスマート冷蔵庫が普及した未来は実現していない。スマートな冷蔵庫も社会も、そのとき、本気でつくろうと思えば実現できただろう。そうなっていないのは、誰も本気になってつくろうとしなかったからだと思う。

 

「ネットで社会は便利になる」と、手の込んだプロモーションで誰もが未来を予感した。でも「よし、私たちでインターネット家電をつくろう」とはならなかった。「誰かが勝手に未来をつくってくれるだろう」なんて様子見だけで、本気で開発をする人がほとんどいなかった。たしかにしばらくすると似たような未来は訪れた。ただし、それをもたらしたのは日本企業ではなく、アップルのiPhoneであった。日本発売は2008年である。

 

今回からは日本のIT業界がたどって来た道を振り返りつつ、失敗の奥に潜む原因と、解決すべき課題を探りたい。

 

日本のIT業界が世界を獲(と)れず、アメリカのIT企業に負けた象徴的な事例は三つあると私は考えている。一つは私が実際に戦って負けた囲碁AIだ。この分野で最強の名を欲しいままにしているのはグーグルの「アルファ碁」。

 

なぜ日本から「アルファ碁」が生まれなかったのか? 囲碁と日本の関係は歴史的にも深いというのに。アメリカ、ヨーロッパにチェスAIで遅れをとるなら、まだしも納得ができる。どうして囲碁AI研究でアメリカに遅れをとってしまったのかについて、専門家の意見を聞こうと思った。私は、日本におけるゲーム情報学の第一人者である、公立はこだて未来大学教授の松原仁先生に取材の依頼をした。

 

二つ目は、プラットフォームである。日本はマイクロソフトのウィンドウズやアップルのマックOSのような、世界中で使われるOSを生み出せなかった。実は日本は機器の制御に用いる組み込みOS「TRON」で世界的なプラットフォームを生み出していたのに、なぜPCなどに使われる情報処理系のOSでそれができなかったのか。TRONの生みの親である東京大学大学院教授・坂村健先生に話を伺う機会を得た。

 

三つ目は、フェイスブックやアマゾンのような、ITサービスのグローバル企業が出なかった点だ。日本にも資本力を持ち、大規模な研究開発ができる大手IT企業はある。彼らが覇権を握る可能性はなかったのか。この辺りは2000年代からIT業界の門をくぐり、現役で活動している私自身が、現場の最前線で知ったIT業界の現実を客観的に整理しながら探ってみたい。

1970年代の成功体験と挫折

日本のコンピュータ、IT産業の発達の歴史を見ると、必ずしも失敗ばかりではなかった。特にハードウェアの開発に注目すると、通産省が主導した「大型工業技術研究開発制度」、通称「大型プロジェクト」による華々しい成功例が二つある。

 

そのうちの一つは本書第2章(『テクノロジー・ファースト』)で触れた1970年代の国産メインフレームの開発だ。1966年に始まったこの「超高性能電子計算機の開発」プロジェクトでは、5年間に100億円の国費が投じられた。目的は、国内のメインフレームのシェア1位であるIBMに対抗するためだ。国内企業を競争させながらの開発が進み、IBMのシェア1位はひっくり返せなかったものの、2位、3位に日本企業が食い込むという成功を得た。

 

もう一つの輝かしい成果は、半導体チップ(超LSI・大規模集積回路)の開発だ。1976年、やはりIBMに対抗するため、次世代コンピュータに必要な超LSIを開発しようと「超LSI技術研究組合」が設立された。組合員は富士通、日立、三菱電機、NEC、東芝の5社と工業技術院電子技術総合研究所だ。4年間に約700億円の資金が投入され、1980年の組合解散後も開発が継続、DRAMの量産体制を確立させるまでに漕ぎ着けた。

 

DRAMとは半導体メモリのことで、コンピュータはもちろん、デジタルテレビ、デジタルカメラに必要不可欠な一時記憶装置となる重要なパーツだ。日本の半導体産業が世界最先端となる基盤は、こうしてつくられた。結果として、1975年は28%であった国産半導体の世界シェアは、1988年には52%まで拡大している※注。今では見る影もないが、1990年代初頭まで日本は半導体産業の黄金期だった。

 

※注:『技術研究組合の概要について』(経済産業省/技術振興・大学連携推進課)

 

1990年代以降、日本の半導体産業が振るわなくなっていく。理由としては、ヨーロッパや台湾などの競合の出現。アメリカと結ばれた「日本で消費する半導体デバイスの20%を外国製とする」という内容の協定。さらに後年の日本での半導体プロジェクトの乱立などが挙げられる。

 

いずれにせよ1970年代までは、国家主導のプロジェクトには大当たりがあった。大規模な開発投資を民間が行う風潮がなかった日本では、産業の育成において国が果たす役割が大きいのかもしれない。そう考えさせられる事例だと私は思う。

 

そのうえで現在からの後知恵でいえば、日本人はハードウェアの扱いは得意なのだと考えずにはいられない。日本はすでにある技術の精度を高めるのが得意だとしばしば語られる。いわゆる「カイゼン」といわれるような開発だ。ハードウェアの時代はその能力が存分に発揮されたのだ。

1980年代以降の大規模プロジェクトのその後

一方でソフトウェアの大型プロジェクトは、超LSIのような、世界を席巻する成功はみなかった。パソコンやソフトウェアが勃興(ぼっこう)したのは1980年代から1990年代にかけてだ。このころに始まった、通産省が主導し資金援助した規模の大きなプロジェクトには次のものがある。

 

●1982年~1992年人工知能の研究開発を進めた「第五世代コンピュータ」開発

●1985年~2000年情報共有ネットワークを研究した「シグマプロジェクト」

 

個別に見てみよう…と、いいたいところだがシグマプロジェクトは資料が極端に少ない。どうやらUNIXをベースにしたソフトウェア開発者のための支援環境をつくることが目標であった。開発経緯を語るウェブサイトはいくつかあるものの、有力な一次情報を探せなかった。詳細は割愛する。ただ、さしたる成果を出せなかったのは確かなようだ。

 

そんなシグマと並行するように開発が進められたのが、第五世代コンピュータである。超LSIの大成功を受けて通産省は勢いづいていた。そして1982年、10年の開発期間と570億円という潤沢な資金を使う、第五世代コンピュータの開発プロジェクトを立ち上げた。目指したのは、人間の言葉(自然言語)を理解して、対話をしながら問題を解決する人工知能開発という壮大なものだ。このコンセプトは、まず間違いなく当時の第二次AIブームの影響を受けている。

 

問題を解決する方法は「推論処理」という三段論法が採用された。ブームの熱狂も手伝い、本当に三段論法をするプログラムが実用的かは横に置かれ、国内外の優秀な研究者が開発に没頭していった。開発者たちは、推論を強化する材料として、オープン化されたデジタルデータを想定した。だが、まだインターネットがない時代。データ入手が困難であった。研究方針は推論処理のスピードアップに集中した。膨大なリソースを使った研究の成果については、プロジェクトの「最終評価報告書」に書かれている。最終的には1秒間に1億5000万回の推論処理が行える、世界最速の推論マシンが完成した。

 

そうして一応の完成をみたコンピュータはやはり実用性に欠け、現在に至るまで製品化された形跡はない。その意味では失敗と言っていいだろう。失敗の理由には、いろいろな論点がある。自然言語を扱おうとする難しさ、プロジェクトを途中で軌道修正できなかった点、あまりに実用性を無視した偏った視点などは、その一部である。誰か一人でも製品化を真剣に考える人がいれば状況が変わっていたのではないかと、私は考えている。

 

とはいえ、第五世代コンピュータ・プロジェクトには優秀な人材が集まり、研究を通じて海外の研究者とのコネクションができたという成果もある。また、このプロジェクトでは「碁世代」と通称された囲碁AIの開発も行われている。開発者であった、実近憲昭氏や清愼一氏は第五世代コンピュータの終了後も独自に囲碁AIの研究を続け、後にAI囲碁大会の常連として大会の発展に貢献された。

 

第五世代コンピュータがなければ、日本と世界の囲碁AIの発展がなかったかも知れないことを私としては補足しておきたい。

 

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