日本のIT業界のグローバル化を阻む「疎外感」
■1兆円規模の「IT推進予算」はどこに消えてしまったのか?
松原先生(公立はこだて未来大学教授)と坂村先生(東京大学名誉教授)の話を聞いて、日本のIT業界がグローバル化しなかった理由のキーワードが浮かび上がってきていた。それは「疎外」である。坂村先生のTRONが始めたオープンアーキテクチャは当時の企業から疎外された。松原先生のAIによるゲーム研究はアカデミーの世界から疎外された。根底に流れているのは、強すぎるハードウェアによる利益至上主義と、ソフトウェアに対する無理解である。
そして、疎外という意味でいえば、私個人の経験と照らし合わせて思うところも浮かび上がってくる。私は、ITの力を駆使すれば面白いことができる。世の中をより住みやすいよう変えられると信じている。そのための提案をさんざんしてきた。提案先は、市民団体や大手IT企業などさまざまである。しかし私の提案はことごとく退けられた。IT化を謳う組織から疎外されている感覚が私につきまとった。
第8回(関連記事『官民連合で世界に挑んだ日本のIT産業が「大敗した」本当の理由 』)の冒頭で挙げた三つ目の問題、「日本のIT業界からなぜITサービスのグローバル企業が出なかったのか」という疑問に答えてくれる、疎外感。私の経験に入る前に、そこに至る歴史をおさえておこう。
1980年代に成果をあげられなかった大型プロジェクトのIT投資は、1990年代に入ると目立った動きを見せていない。大プロジェクトの度重なる失敗に加え、バブル崩壊の影響のためだとされる。この間の1995年、アメリカではネットスケープコミュニケーションズの上場に端を発するITバブルが発生。
バブルはFRB(連邦準備制度理事会)による利上げが行われるまで続き、収束したのは2002年ごろとなった。アメリカの動きが波及し、日本でITバブルが起きたのは1998年から2000年にかけてである。
1990年代以降、日本では目ぼしい大型プロジェクトは行われていない。しかしだからといって、国によるITの振興策がゼロだったかといえば、そうではない。ゼロどころか数字を見ると、予算のゼロの数が6個も増えて兆の桁に達する。
少なくとも1990年代中ごろから2000年代まで、巨額の国費がIT推進のために投入されていた。予算は毎年1兆円規模。2002年のピーク時には約2兆円に達していた。予算の使われ方で大きな割合を占めるのは、システムの設計、開発、運用、保守、関連機器やソフトウェアの購入だ。ここに大手IT企業が殺到する。
私が大学を卒業し、エンジニアとして働きはじめたのは2000年代前半である。だからこのころに起きていたことは身をもって知っている。ここから先は私が体験したり、伝え聞いたりしたことをベースに話を進めたい。そして私が実感したことからいよいよIT業界の課題を探っていこうと思う。
「仕様書どおり」が求められるIT公共事業
■IT公共事業の内幕
国民の利益に適い、なおかつ新しい産業を育てる投資になるのが公共事業の理想像である。代表的なやり方はかつての鉄道や道路の敷設だ。わが街が他の街とつながる事業は、住民の利便性と地方の産業振興にうまく貢献した。
しかしITに目を転じると、盛んに行われていた大規模公共システムなど、投資効果が作用していない例が目立つ気がする。あまり実にならない事業に、人とお金を浪費していなかったか? そのシステムは誰が使っているのか? 社会の役に立っているのか?残念ながら、せっかくできあがった国のシステムが、有効活用されている例を私はあまり知らない。
公共システムの構築は、プロジェクト体制が建築業界と似ている。たとえば住民基本台帳をデータ化して、今後はインターネット上で管理しようとなったとする。するとどのようなシステムにするかという分厚い仕様書をつくる。仕様書づくりは省庁や、仕様書をつくる専門の企業が手がける。
仕事を受注したい企業は仕様書を読み、「うちならこんなに短い期間で安くできますよ」と入札でアピールする。大きな仕事では、会社の実績や規模などの条件で結局は限られた数社の大手IT企業しか参加できない。いわゆる「ITゼネコン」と呼ばれる企業である。彼らが落札に成功すると、大きなプロジェクトを自分たちだけではまわしきれないため、下請け会社に仕事を出す。一次下請け、二次下請けと、大きなプロジェクトであればあるほどピラミッドの段が増えていく。なぜこのような下請け構造をとるのかといえば、エンジニアを時間で管理することで仕事を進める考え方だからである。
当時、この手の仕事には「クライアントは神様だ」とでもいうような風潮があった。発注者のいったとおりにつくればいいとされ、IT企業は対等なパートナーとはいえない状態であった。指示どおりに仕事をする。それで報酬を得たらおしまい。ビルを建てたり、既存の製品を大量につくったりする仕事であれば、それが効率的なのだろう。けれどもシステム構築はそうではない。
クライアントがつくりたいシステムと、実際につくれるシステムの間には、大なり小なり乖離(かいり)があって、それがシステムを構築する過程で浮き彫りになったりする。またシステムをつくる側は、つくりながらより便利にできるアイデアが浮かぶことがよくある。その種の、現場から上がってくる意見をフィードバックしながら、良いシステムの完成を目指すわけである。それゆえにあまりに上意下達がゆき過ぎ、コミュニケーションが一方通行の仕事だと、フィードバックがおきず、良いシステムになりにくい。
おまけに何よりも優先されるのは「仕様書どおり」。仕様書よりも良い方法を見つけたとしても、それが歓迎されるとは限らないのだ。アイデアを実践する機会を奪われた仕事でモチベーションは上がるはずがない。これでは新しい技術が生まれないのも仕方ないだろう。
■「動かないシステム」と「終わらないシステム」
悪いことに官制の仕事では、えてして発注者がITを知らなさすぎた。知らなければグランドデザインを描けないのも当然である。全体像がぼんやりしたままで、迷ったときの判断基準がないまま進む。このため土壇場で無茶な仕様変更や、納期の直前に仕様がひっくり返される事態がしばしば起きた。プロジェクトがデスマーチと化してしまう事態も珍しくなかった。
無理に人と時間をかけてシステムが完成するならまだいい。右往左往の結果、システムができず、お金と時間だけが垂れ流しになってしまった例もある。約55億円の予算を投じた特許庁のシステム構築が、結局できなかったというニュースはその一例だ。
IT業界以外の人にすれば、できないシステムに対して対価が払われる感覚がわからないだろう。仮にビルを建てるのであれば、ビルという誰にでもわかる実体がなければ完成とはいわない。完成でなければ対価は支払われないのが常識だ。けれどITシステムでは違う。なぜならシステムの完成が誰にでもわかるものではないからだ。
仕様どおりにつくったが稼働しないシステムのことを、IT業界では俗に「動かないシステム」と呼ぶ。そのままの意味だ。こんな言葉が定着している時点で問題だ。「動かないシステム」でも、もっともらしい仕様書を付ければ、失敗をうやむやにできてしまう。クライアントに知識がなければなおさらで、何が良くないのか検証されないままプロジェクトは終了する。それでいて費用はしっかり支払われる。
「動かないシステム」だけではない。「終わらないシステム」というのもある。メガバンクや自治体が関係する巨大プロジェクトのなかには、仕様が幾度も変更され、それに伴う納期の延期が何度も起きるプロジェクトがある。関わる人数が無闇に多くなり、継ぎ足しだらけのプログラムで全貌が見えなくなることも重なって、仕事をすればするほど、システムは完成から遠くなってしまう。予算は悪くないので企業は引き受ける。そうすると、現場のエンジニアは地獄だ。なんの意味があるかわからないプログラムを延々と書きつづけ、時間だけが過ぎていく。
日本のIT企業がゼネコン化し、「動かないシステム」「終わらないシステム」という誤った方向に突き進む間に、オラクルやIBM、SAPなどの海外勢は、ITの本質を理解し時代にあったシステムをつくりあげた。動かない・終わらないシステムどころか、ビジネスになるシステムを展開していったのだ。
こう書き連ねると、クライアント側の問題が目立つが、あながちそうともいえない。私たちIT業界サイドが、コミュニケーションを通してITへの理解を進めていないことも原因にある。ITは本来とても開かれたビジネスだ。IT業界に身を置く人はオープンマインドで、自由であることを好む。所有することと同じくらい技術を共有する大切さを理解している。そして勉強し、競争しながら技術を身につけ、コンピュータという道具に詳しくなれば、自分のアイデアを具現化できると信じている。自分自身、ひいては周囲の人、社会全体をより住みよくできるはずだと思っている。もちろん私もその一人である。
こうした特徴はITの一番の強みであり、力であると思う。しかし、そんな気質の人が官制の公共システムを構築する仕事を好んでするだろうか?仕様書どおりが何より優先され、創意工夫が許されず、新しいアイデアを出す機会が認められない職場、スキルや才能を浪費するだけの現場…。さらに悪いことに、つくったシステムが動かなくても完成しなくても報酬だけは出るのだ。これでは、公共システム下請け型のIT推進策が、日本のIT業界を生殺しにしているようなものではないか。
企業は健全な競争のもとで成長する。ぬるま湯に浸かっている状態でイノベーションを生む技術や製品は生まれないだろう。厳しい言い方になってしまうが、大手ITゼネコンがグローバル企業になれない現実にも納得してしまうのだ。