世界的に過熱するAI開発競争。そのなかで日本のAI開発は周回遅れになっていると度々指摘されてきました。本連載は、囲碁AIの研究開発を行う福原智氏の著書『テクノロジー・ファースト』(朝日新聞出版)から一部を抜粋し、筆者が囲碁AI開発を続けるなかで感じた国内AI業界が抱える問題点について紹介していきます。今回は、日本のIT業界に内包する懸念点を考えていきます。

ITへの見識が浅い、中小IT企業の経営者

■悪い構造に加担する中小IT企業側

公共システム事業の課題を探っていくと、つい川の上流に責任を問いたくなる。けれども大きな組織や集合がはらむ問題では、どこか一箇所が悪いことはむしろ稀だ。特に多重下請け構造において受注者は発注者でもある。プレイヤー全員が何らかのかたちで問題に加担していると考えたほうがいい。

 

ITゼネコンの下請け構造を構成する中小企業には、ITにあまり詳しくない経営者がいる。多くは、2000年前後に新規参入し、ITバブルの波に乗っかろうとした経営者たちである。彼らはITに可能性を感じてこの世界に入ったわけではなく、単純にビジネスをしに来た。それゆえに自分自身はコンピュータの知識を必要としていない。日々何をしているのかというと、コネクションを広げたりトップ営業をしたりといった社長業をこなしている。利益さえあがれば、極端なまでに仕事の中身は関知しない。

 

そうした経営者にとって公共システム事業の下請けは実に良い仕事だ。

 

彼らは進んで下請け構造の末端に近い場所に身を置いた。新しい仕事がある度に人数の調整弁となって、スキルのあるなしを問わずスタッフをかき集めた。経験を持たない人でもとにかく雇った。50人のスタッフだけ集めて、マンションの1室でやっている会社もあった。頭数だけ揃えたら終わり。それだけで仕事の成果に関係なく給料が行き渡るし、上の会社も見かけは仕事をまわしているように見える。

 

するとどうだろう。進むのは時間だけでプロジェクトの工程ではなくなってしまう。2000年以降に発生した公共システムの構築失敗の背景には、こんな状況がいろんな現場で生まれていたためだと私は推測している。誰も良いとは思っていない。でも発注側と受注側の利益が一致しているので、下請け体制を変えるのは難しい。

 

しかし、変える方法はあるのだ。

 

たとえば開発の方法にアジャイル型開発というものがある。アジャイル型開発では仕様や設計の変更はあるものだという前提でおおよその仕様だけをつくり、細かくテストを繰り返して完成に近づける。開発期間中の前半から後半まで何度もテストをする。

 

対して従来のウォータフォール型では、企画、設計、実装の一つひとつの順番をしっかりこなし、最後にテストを行う。緻密に積み木を重ねていくようなスタイルなので、ちょっとでも変更があると、前に戻って丁寧に組み直していかないといけない。つまり柔軟性にかけてしまう。

 

二つをうまく使い分けトライ&エラーしていけばいい。より良く変える方法を探すのはITの力の発揮のしどころだ。それができないのは、「前例主義」「チャレンジするリスクをとらない」「失敗を許さない」「ベンチャーの可能性より、大手の安心感や信頼感」を求める意識が、日本社会に強いためだろう。

日本のIT社長は知識がなく、決断ができない

■決断なき自滅を繰り返す日本のIT業界

責任ある立場にいる者にITの知識があまりない弊害は甚大だと私は思っている。そういう人物が発注者の側にいると、官制の仕事でありがちな、あまり意味のない仕様変更が発生しやすい。経営者にあっては、積極的にイノベーションとは程遠い下請け構造に加担してしまう。

 

さらに、である。知識がないと重要な決断ができなくなってしまう。

 

私自身を例にしよう。私は長年の現場経験があるので、研究開発には囲碁AIが大切で、そこで培うテクノロジーは必ず武器になることが実感としてわかる。だから予算を投じて開発しようという決断ができる。逆に何の知識もなければ、「囲碁アプリにしかならない」とか「もうグーグルがやったでしょ」とかすぐに短絡的な判断をしかねない。

 

2000年のITバブルで経営者になった人に、その傾向が強い。何となくうまくいってしまったケースが多いからだ。ITはわからないけれど、付き合いや馴れ合いで仕事がとれたのだ。それで成り立ってしまったので、テクノロジーが生まれるような土壌は育たなかった。彼らはおそらくITをわかっておらず、テクノロジーの良し悪しを判断できない。

 

会社が重大な局面に差し掛かったとき、判断ができないとどうなるのだろう。下手をすると、何ら決断ができずに自滅の道に入ってしまうかもしれない。

 

決断なき自滅。何だか国産OSの話そのままである。坂村健先生(東京大学名誉教授)に聞いた話が蘇る。せっかく汎用性の高い国産OSができたあのとき、大手メーカーの社長は海外勢に対抗する国産OSマシンの製造に踏み込めなかった。決断ができなかった。

 

未だに日本の大手メーカーの経営層には情報科学系の出身者は少ない。これが構造的な問題を生みだしているともいえる。経営層に一人でもそうした人材がいたら流れは変わっていた可能性がある。海外の経営者には教養として情報科学を勉強している人がいる。また、コンピュータサイエンスの論文で博士号をとった人が、政治家や官僚になったりもする。松原仁先生(公立はこだて未来大学教授)に聞いたとおりだ。

 

おそらく当時の経営層は、オープンアーキテクチャの重要性や、国産OSの重要性を理解できていなかったのだろう。

日本はソフトウェアの価値を見出せなかった

■テクノロジーへの古い固定概念に囚われた日本

考えてみると、情報科学系のテクノロジーに理解が深い人材が不足する影響は、もっと根深いものがあるかもしれない。

 

日本のIT産業がたどって来た挫折の歴史を振り返ってきたが、明らかにハードウェアからソフトウェアに重心を移行させることに公共の大プロジェクトは失敗している。これまでの日本の政府も企業も、ハードウェアのようなかたちのあるものには強くても、ソフトウェアやネットワークのようなかたちのないものを扱うのは不得手に思えてならない。たとえばテクノロジーに理解がありそうな工学部出身の経営者も、ソフトよりもハード志向になっていないだろうか?

 

松原先生と坂村先生との話をとおして、社会の中枢に情報科学系出身のリーダーが非常に少ないと実感を新たにした。これは、経営からの疎外といえないか?

 

明治維新後、世界でもっとも早く大学に工学部を設置し、重工業に集中することで近代化を成し遂げた日本には、テクノロジーに対する古い観念が根付いてしまっている。総力戦体制じみた重工業への注力こそ、国がやるべきことだという固定観念さえあったように感じる。こうした観念に囚われたリーダーには、ソフトウェアやネットワークの重要性も、オープンなイノベーションも理解しにくい。

 

思えば日本のITの黎明期は、ハードウェアを扱う会社が本当は畑違いのソフトウェア業界に乗り込んで来た。そんなメーカーの経営者たちは――今でもそうかもしれないが――、「なんでソフトにお金を払うんだ」という感覚があった。見えないデータやネットワークにお金を払う感覚がないのだ。飲食店でいえば、対価を払うのは料理に対してであり、もてなしは無料で当たり前という感覚に近い。その店がもてなしによって繁盛しているというビジネスモデルを理解できない。

 

こうしたサービスを美徳のように思って、お金を稼ぐことをどこか良しとしない文化も少なからず影響しているだろう。

 

これまで、ずっと私たちのようなソフトウェア業界の人間は下請け的な立ち位置で扱われてきた。携帯をつくっている会社にすれば、「ソフトなんて無料でしょ、ハードでお金をとるんでしょ」という認識なのだ。これは日本だけに限らず、IBMですらそうだった。価値があるのはハードであって、OSとかソフトがお金になるとは思っていなかった。そこに登場したのがマイクロソフトであり、「ウィンドウズ95」でOSに一般的な価値があると初めて証明してくれた。

 

ソフトウェアがコンシューマに売れるという発想は、ゲーム業界という例外はあれど、日本人には持てなかった。というかアメリカ人しか持てなかった。日本人はかたちのないものにお金を払うことが元来苦手であり、ソフトウェアやITの知識があって決断できるリーダーがいなかった。かたちのないソフトウェアに価値があると気づいているのは現場の人だけで、それを大きなビジネスにつなげようという発想ができる人はいなかった。ソフトといえば、製品に付属するドライバのようなものしか想像できず、タダで提供するものだと経営者たちは思い込んでいた。

 

ハードウェアを買うとドライバが無料でついてくる。最新のレーザープリンタを買うと必ずドライバが同梱されている。現在でもそうである。しかも会社によってはドライバのプログラムを公開していないので、クローズドなまま、そこに誰も参入できない。もし参入できるようにすれば、ハード会社はそこでライセンス料をとれるかもしれない。そういうところも課題で、日本はもっと変わるべきだったと私は思っている。たとえばフロッピーディスクのライセンスの一部を日本人が持っていたのに、日本企業がそれをビジネスにつなげることができなかったような時代を早く終わらせなければならなかった。

 

ようやく時代が変わろうとする兆しが見えてきたのは、最近になってからだ。松原先生のゲーム情報学は、将棋、囲碁の研究価値が認知されるようになり、より難しい「人狼」などの不完全情報ゲームが研究されるようになってきた。坂村先生も、TRONプロジェクトを継続しながら、文系、理系にとらわれない人材の育成に尽力されている。

 

ITサービスは以前も若手が活躍していた。それがシステムなど裏側をつくっている人たちにも若い中小企業の社長が増えてきている。新卒でITに入り、現場で実力を身につけた人が経営層に入ってきたのだ。今後はITの本当の力をわかっている現場の人が上に立つようになる。決断ができる社長が出てくる。決断ができる人が、研究開発をやろうと踏み込んでAIやIoTに力を注ぎ込む。日本のIT業界はここからが本番である。

 

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