怒られることに「悩み」や「不安」があるなら
「相手が怒る理由が見えてくると、あなたを悩ます人の『怒りのカルテ』がイメージできます。あなたはそれに応じて処方せんを出すドクターの気分でいればいいのです」
ここまで、相手の「怒り」のカルテに加え、あなたの「不安」のカルテについて、その読み方を見てきました。今回からは、相手の「怒り」やあなたの「不安」に向き合う方法として「9つのスキル」を紹介します。この中に、怒られることに悩みや不安を持つあなたにとって、状況を改善できる処方せんがあるはずです。まずは、できるところから実践してみてください。
9つのスキルは、以下の図表のように「自分を変える」「相手を変える」「自分を守る」の3つの種類があります。
[図表]怒りに負けない9つのスキル
自分を変えるスキル① 回想法
「出来事」を思い出して客観視する
本書(『こんなの理不尽! 怒る上司のトリセツ』)第3章の「メンタルタフネスを身に付ける3ステップ(=自分の「認知のクセ」をあぶり出し、客観的に分析し、「合理的な考え方」を導き出すことでネガティブな感情にとらわれない思考パターンを獲得するスキル)」は、事務処理が得意な人に向いています。生真面目さを生かした「記録」で客観視がしやすくなるのです。
中には、そうした手順を踏んだ理解よりも、感覚的な把握を得意とする人もいます。実は、私もそのタイプです。そうした人には、「記憶」を思い返すことで自己分析する方法を提案しています。ここでは「回想法」と呼ぶことにしましょう。このスキルは、「あー、いま思い出してもムカつく」「あの時のことを考えただけで手が止まっちゃう」「また怒られたらと思うと勇気が出ない」など、過去の経験にある「不安」「おびえ」が日常を縛ってしまう時に使います。
「回想法」には、1点、注意が必要です。例えば災害を経験した、あるいは事故や犯罪に巻き込まれた、または目撃した。そうした「事実の出来事」によって、ずっと恐怖や強い不安を抱えている人はやらないでください。そうしたストレスを抱えている場合は、より専門的な医療機関に相談するなど、適切な対応をしてください。
上司に怒られたシーンを「ばかきのこ」と命名
シーンに「題名」をつける
怒られた「不安」に悩んでいる人は、まずは目を閉じて、その怒られたシーンを再体験してみてください。そして、その時の気持ちを言葉にしていくのです。「苦しい」「何だか気持ち悪い」「あー嫌だ」などです。そうやって、その時には言えなかった自分の気持ちを口に出していくと、そのシーンが客観的に見えてきます
すると、その気持ちや言葉に対し、自分なりの解説ができるようになっていきます。「その時は、一方的に責められて、ただただ苦しくて、早く逃げたいと思っていたけど、どこかで自分のプライドが傷つけられているのが本当は嫌だったのかなあ」といったように、「出来事」に対して自動的に思い浮かんだ「気持ち」を、違った側面から見ることができ、徐々に視野が広がっていきます。
つらかったことや不安について、少し「他人事」として考えられるようになります。次に「怒る相手」と「怒られる自分」のシーンのまま、今度は反対側に意識を移動させます。自分が相手の位置に座るのです。これはイメージするだけでよいのですが、実際に自分の席の位置を変えて、別の場所から自分を見るという方法も有効です。
ここですることは、相手の考えを想像してみることではありません。あくまで自分を客観視することです。自分は、相手の位置から、どう見えるのだろう?あれ?「はい、はい」としか言ってないな。その割には、「同意していません」って顔に書いてある。そうした自分の考えや感情は、相手にもハッキリ見えていたのだな…。
ずっと「怒られて不安になった」と何回もフラッシュバックしていた経験を、1つのシーンとして多面的に「鑑賞」していく。すると、映画監督のような気分で「そこ、もっと表情で否定したらいいんじゃない」「むしろ笑顔でサラッと流した方が話題が変わったかも」と演出することが可能になります。
最後に、そのシーンに「題名」をつけてください。
ある相談者の男性は、一方的に怒鳴り続ける上司に心をすり減らしたシーンを思い出しながら、「題名ですか? そうですね…、えーと『ばかきのこ』ですかねえ」と命名しました。私もそれには意表を突かれたので「えっ?」と言ってしまいましたが、相談者は「いや、きのこに意味はないのですが、何か、ばかばかしくって」と言いながら、表情は和らぎ、笑顔が戻ってきていました。
「ばかばかしい」理由が、延々と怒られている時間が無駄だったことなのか、上司の言っていることなのか、自分がそれで悩んだことなのかは分かりません。しかし、感覚的に物事を捉える人にとっては、そんなふうに笑い話に転化できただけでも、大きな意識の変化をもたらします。
「仕方がない」は諦めではない
嫌なことは早く忘れたい。誰もがそう思うことでしょう。
しかし、その「出来事」にずっと縛られたまま、その時の「気持ち」を抱えたままでは、忘れるどころか、どんなに時間が経っても、その時の「認知のクセ」から生じた、ネガティブな感情や考えを引きずったままになってしまいます。「認知のクセ」を広い視野で見ていくと、多くの相談者が「まあ仕方がないですね、これは」「何ともならない時もありますからね」と達観した感想を言うようになります。それは諦めの言葉ではなく、その「出来事」はそこで終わっている。場合によっては「何とかなる」ことを考えられるようになった証しなのです。