さまざまな「遊び」の要素を取り入れる
発達障害の子どもは、すばらしい才能を持っている一方で、できないことも多くあります。子どもがやりたくないと感じていることを強要する必要はありません。
とはいえ、社会で暮らしていくうえで、どうしてもできるようになる必要があるならば、「楽しい」「やりたい」と思える工夫をすることが大切です。子どもは遊びの要素を取り入れることで、やりたくないことでも目を輝かせて取り組めるようになります。
たとえば、「あ」という文字について学ぶとします。
ノートに「あ」という字を書きながら
「これが『あ』という字だよ。さあ、書いてごらん」
と鉛筆を渡して教え込もうとすると、子どもは文字を覚えることに苦痛を感じます。このとき、脳内では、扁桃核が「これは嫌いだ、学びたくない」と判断します。そしてその苦痛からなんとかして離れようとするのです。
逆に、扁桃核が「好きだ、学びたい」と判断すれば、子どもは強制しなくても自分からやろうとします。理屈ではなく、好きか嫌いかです。
つまり、子どもに面白くないと思われる教え方をしてしまうと、そのこと自体を嫌いにしてしまい、より習得が難しくなってしまうのです。一方、子どもがもっと学びたいと思えるようなアプローチができれば、いつのまにかスムーズに習得できてしまいます。
子どものやる気を引き出すポイントは、さまざまな遊びの要素を取り入れてみることです。すると遊んでいるうちに、自然と身についていきます。
ひらがなを使って魚釣りゲームのような遊びをしてみると、子どもたちは身を乗り出してこの「ひらがな釣り」という遊びに夢中になります。その最中に、「あ」が釣れたら大人が
「『あ』が釣れたね。これは『あ』だね」
というように「あ」という音をたくさん聞かせるようにします。すると「あ」という文字の形と、「あ」という音声が結びついて、これは「あ」という音を表す文字なのだ、ということをいつの間にか学んでいくのです。
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子どもたちは同じ遊びばかりではすぐに飽きてしまいます。魚釣りの次はパズルというように、手を替え品を替え、ひらがなに触れさせます。ひらがなの書かれたパズルを使って遊ぶときにも、同じです。パズルに書かれたひらがなを見ながら、なるべくその文字の音を聞かせるように話しかけます。
子どもが好きなものは、私たちの身近にたくさんあります。たとえば、小さな子どもはマジックテープをビリビリとはがしたり貼ったりするのも好きですし、磁石をパチンとつけるのも好きです。そういった身近なものを使った遊びを工夫し、楽しんでいるうちに自然と身につけるのが、学習の近道です。
幼児期に、子どもの目が輝くような機会を多く持つことができれば、気づいたときには膨大な量の情報がインプットされています。このように情報をインプットしていくやり方は「パターン学習」とよばれます。パターン学習では、量が質を高めます。量と質の関係は、正三角形の底辺と高さのようなイメージです。底辺が長くなれば高さも高くなり、結果として面積が増えるのによく似ています。
このように、量が質へと転換していくのは、幼児教育の特質ともいえます。
「子どもの目が輝いているかどうか」に注目
手当たり次第に膨大な情報をインプットするというパターン学習は、一見効率の悪いやり方のように思えるかもしれません。しかし、幼児教育ではこれが一番の早道なのです。赤ちゃんが、勉強したわけでもないのに自然と母国語を話せるようになるのが典型的な例です。
このとき、必要となるインプットの量には、個人差があります。人間には器用・不器用があるからです。
ただ、必ずしも、不器用であることが悪いとは限りません。
人間が物事を習得するまでには一万時間が必要だといわれますが、苦もなくある一定のレベルまで到達してしまうと、一万時間を費やすことなく、ほどほどのところで終わってしまうことが多いのではないでしょうか。
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日本の伝統芸能に「謡(うたい)」というものがあります。謡とは能楽の言葉や台詞にあたる部分のことで、それのみを謡う芸能ですが、その謡の先生の言葉が印象的でした。「一流になるには素質が必要である。この素質というのは『声が悪いこと』と『音程が悪いこと』だ」
というのです。
生まれつき声がよくて音程もよい人は、9割のところまで比較的はやく到達します。ただ、そこからは上達せず、「ほぼ9割の人」で終わることが多いのだそうです。
それにひきかえ、声が悪かったり音程が悪かったりする人は、なかなか9割のところまで達しません。最初はまず1割、そして2割と徐々にステップアップしていき、時間がかかったとしても、歩みを止めることなく上達していきます。そして、9割に到達したと思うと、さらに10割を超えて、その人独自の境地へ進んでいけるのだといいます。
器用にこなすことができなかったとしても、それがやりたいことであり楽しんでできることであれば、じっくりと取り組ませればよいのです。それがその子の命の使い道であり、使命であり、存在意義だからです。
発達障害の子どもは、とくに物事の習得に時間が必要になります。中でも、学習障害のある子どもは、苦手なことを習得しようとするとより時間と労力がかかりますし、望むレベルに達しない可能性もあります。
ここで親が気をつけなければならないのは、子どもの目が輝いているかどうかです。本人がやりたくないことに時間と労力をかけるくらいなら、違う才能を伸ばした方がよいでしょう。強制せずに、楽しいと言うことをとことんやらせることが、子どもの能力を伸ばすための原則です。
大坪 信之
株式会社コペル 代表取締役