<あらすじ> 倉田資郎は、妻に愛人・マナミの存在が発覚することを恐れていた。しかし、マナミとの愛人契約が2ヵ月ほど経った頃、倉田は妻の変化に気付く。愛人の存在は関係なく、妻はもう倉田に対し興味を失っているかもしれなかった。そんな折、妻から突如「起業しようと思ってる」と切り出され…?  一部の富裕層しか知らない「愛人」を持つことの金銭的な損得勘定に真剣に迫るリアル小説、夫編〜第7回。

妻の起業。世間の男たちは、自分の妻が起業したら応援するのだろうか。それとも反対するだろうか。

 

倉田の場合、妻が起業することについては賛成とも反対ともいえなかった。これまでもフリーランスとして働いてはいたが、法人化するとなれば、事業拡大も視野に入れているのだろう。

 

手放しで賛成と言えないのは、男の嫉妬だ。具体的な年収こそお互い明かしていないものの、もしかすると妻の方が稼いでいるかもしれない。折半にしている家計費以外は各々自分で管理しているため、妻が開業資金をどれほど貯めているかもわからない。

 

「別に辞めなくてもいいんじゃないか。法律上は何の問題もないんだから」

 

「そうね。でも名前を貸しているだけなのに報酬をいただくのは、申し訳なくて」

 

「気にするなよ。節税対策でもあるんだから」

 

妻との会話はそこで終わった。

 

本当は起業の時期や規模やオフィスの場所など訊きたいことは山ほどあったが、電話がかかってきて中断する羽目になった。

 

「どうした? 何かあったか?」

 

電話の相手は山本だった。

 

基本、山本との連絡はメールなので、電話をかけてくるということは、すなわち緊急の用事ということだ。

 

「実は……親父が死んだ」

 

+ + +

 

深夜、倉田は山本のオフィスにやってきた。

 

いつもは数名、徹夜のエンジニアが居るのだが、今日は山本が帰したらしい。

 

「悪いな、こんな時間に」

 

「構わないよ。それより親父さん……」

 

「ああ。面倒なことになった」

 

山本家は、代々都内に土地を所有する地主である。土地及び不動産の管理は、山本の姉が取り仕切っている。

 

「まさか愛人の家で亡くなるとはな」

 

「父親に愛人がいること、家族は知っていたのか」

 

「おそらく姉は知らないと思う。俺はそもそも親父から譲り受けたマンションに愛人を住ませていることを知っていたから、何とも思わなかったが」

 

以前、生前贈与で譲り受けたマンション一棟を山本は管理している。そこのマンションには常時、父親の愛人が住んでいた。マンションを建てた当時は3人の愛人にそれぞれ部屋を与えていたが、年老いた現在は、ひとりだけ残っていた。

 

「すごいなお前の親父。でもどの部屋に愛人が住んでるのか、知ってたのか?」

 

「知ってるも何も、賃貸マンションで特定の部屋だけ家賃をタダにしてれば、バレバレだろ」

 

「だからそこのマンションだけ、お姉さんの会社で管理させなかったんだね」

 

「ああ。でもまさかそこで倒れるとはな」

 

山本の父の死因は心不全だったらしい。愛人宅で倒れ救急車が来る頃には、すでに息をしていなかったそうだ。

 

「そんなわけで、当面ウチのことでバタバタするから、仕事のほうよろしくな。まー優秀なエンジニアたちに任せておけば、問題ないと思うが」

 

「わかった。何かあったら力になるから、いつでも連絡してこいよ」

 

「ありがとう」

 

+ + +

 

その後、山本の父の葬儀は滞りなく行われた。

 

すでに山本の母は他界しており、莫大な遺産は生前のうちに整理し引き継いでいたため、親族間で揉めることもなかった。

 

「ただ、ひとつだけ厄介なことがあったよ」

 

「例の愛人のことか」

 

「ああ。実は愛人を受取人(※)として、親父は生命保険をかけていたんだ」

 

被保険者が死亡した際、 保険会社に提出する書類はたくさんある。

 

愛人は、死亡診断書や住民票など親族でなければ請求できない書類が必要だと、山本に連絡してきた。山本はそれらを用意し、愛人に渡した。

 

「どうやら書類に不備があったらしく、保険会社がうっかり実家に連絡してきちゃったんだよね」

 

保険会社からの電話を受けた姉は、すぐに山本を呼び出した。いつもは割とおっとり落ち着いた雰囲気の姉がひどく激昂しているのを、山本は初めて見た。

 

「許せないのは愛人の存在なのか、それとも金の問題か」

 

決して少なくない金額が、保険金という名目で愛人に支払われる。保険金の出所は保険会社とはいえ、これまで支払った保険料は山本の父が出したものだ。

 

「詳しくは知らないが、10年以上は親父の愛人をやってたはずなんだ。俺としては、保険金くらいくれてやってもいいと思うんだが」

 

「金だけじゃないだろうな。愛人の存在を、お姉さんは受け入れられないんだろう」

 

他人事ではないという感情は、山本にも倉田にもあった。山本の姉だけでなく、山本の妻や倉田の妻もきっと、愛人として生きる女に理解はないだろう。

 

女には、ふたつのタイプがある。

 

男を頼って生きていく女と、男を利用して生きていく女。

 

愛人は、一見男を頼っているようで、実は利用しかしていない。

 

むしろ男を全面的に頼って生きるのは、妻となる女の方だ。

 

倉田はふと妻のことを考えた。

 

彼女は決して男に頼る女じゃない。かといって男を利用するタイプの女でもない。

 

本来妻向きの女ではないのだろう。自分を全面的に頼ってくれないのは、気楽でもあり寂しくもある。依存しない関係性は、ともすると希薄になりかねない。

 

妻がいても家族がいても埋められない寂しさを、男は愛人に求めるのだ。

 

そして愛人は、金品などと引き換えに、男の弱さをそっと包み込む。

 

山本の父は、愛人の隣で旅立てて、幸せだったのだろうか。

 

そんなことをぼんやりと考えていたら、マナミからメッセージが届いた。

 

「ごめんなさい。相談したいことがあるの」

 

〜監修税理士のコメント〜

 

※ 愛人を保険金の受取人にすることについて

 

編集N 父が愛人を受取人に生命保険をかけてたなんて、山本の姉が激高するのも分かるような気がします…。そもそも、愛人に限らず親族以外の他人を保険金の受取人にすることなんてできるんですか?

 

税理士 保険金の受取人として指定できるのは、「配偶者と二親等以内」というルールがあります。それ以外の者を受取人に指定することを「第三者受取」といい、保険会社では基本的に受け付けません。

 

ただし、婚約者や内縁関係については、双方が独身であり、関係を示す「証拠」を提出することができれば、受取人として受理する保険会社もあります。

 

編集N そうか…今回の場合、山本の父はすでに妻が他界している=法的には独身。だから、愛人を「内縁の妻」として保険金の受取人にできたのかもしれませんね。

ところで、愛人が受け取る保険金にはどのような税金がかかるのですか。

 

税理士 愛人に支払われる死亡保険金は山本の父から「遺贈」されたものになるので、愛人が受け取る死亡保険金には相続税がかかります。

相続人が受け取る死亡保険金は一定金額(500万円×法定相続人の数)が非課税になる規定がありますが、愛人にはこの非課税の規定は適用されないため、受け取る保険金全額が相続税の課税対象となります。さらに、愛人は山本の父の配偶者でも一親等の血族でもないため、通常の相続税の2割増しの金額になります。

愛人は山本の父の財産形成に貢献した訳ではなく、保険金を受け取るのも偶然性が高いものになりますからね。それくらいの税負担は仕方ないでしょう。

 

(つづく)

 

 

監修税理士:服部 誠

税理士法人レガート 代表社員・税理士

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この物語はフィクションです。

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