突然の離婚届につづき、愛人・マナミとの証拠写真を妻に突きつけられた倉田。冷静に離婚手続きを進める妻を改めて「美しい」と感じ、「なぜこんな完璧な女を裏切ってしまったのだ」と後悔するが、時すでに遅し。最後の瞬間には、「今までありがとう」以外の言葉は浮かばなかった。「さようなら、雪江」。一方、愛人・マナミと別れるつもりはなかったのだが…? 一部の富裕層しか知らない、「愛人」を持つことの金銭的な損得勘定に真剣に迫るリアル小説、男編〜第14回。

 

何も変わらないと思っていた。妻がいなくなったこと以外、俺自身の生活は現状維持だと信じていた。同じ部屋なのに、妻がいないだけで落ち着かない。

 

離婚した今になって気づいたが、妻はいつも俺より先に帰宅していた。朝はいつだって、俺より早く起きていた。

 

簡単な朝食と、その日着ていくスーツと身につける小物を、必ず準備してくれていた。

 

洋服とほんと少しの私物だけを持って、妻はこの部屋を出て行った。

 

もう2ヵ月も前のことだ。だが妻がいなくなったこの部屋には、いまだ慣れることができない。

 

寂しくなることは覚悟していた。

 

妻と結婚する前のように「ただ寝に帰るだけの部屋」に戻るだけだと思っていた。しかし結婚していた8年の間に、「妻と暮らす生活」がすっかり染み付いていた。

 

几帳面な妻がいた時のように、脱いだ服はハンガーにかけ、風呂を出る時に浴槽を洗い、トイレを出るときは便座の蓋を閉める。

 

もう誰も注意する人はいないのに。妻は二度と帰ってこないのに。

 

+ + +

 

「社長、大丈夫ですか?」

 

「何が?」

 

「顔色、良くないですよ」

 

常駐のスタッフに指摘され、倉田は苦笑いした。

 

わかっている。独りの自宅に居るのが辛く、酒を飲み過ぎていることは。

 

マナミの部屋に行こうと連絡しても、ここ最近不在ばかりだった。

 

「母が具合悪くて」

 

重い病で都内の病院に入院させたらしく、マナミは付き添いで泊まっているらしい。家族の病気ならやむを得ない。俺にできるのは、入院代を援助することくらいだ。

 

「ごめんね、心配させて」

 

久しぶりにマナミの部屋に行き、彼女の手料理を食べる。この時間だけが、心から楽しいと思える。

 

「なんか、ちょっと見ない間に太ったんじゃないか?」

 

「ひどーい! そういうことは、気がついても言わないのが優しさよ」

 

最近外食が増えてるから、とマナミは言い訳した。

 

少し肉付きの良くなったマナミを抱く。むしろこのくらいふっくらしている方が女らしくていい、と倉田は思った。

 

妻は背も低く細身で、およそ色っぽい体つきではなかった。上に乗ったら押しつぶしてしまいそうで、倉田はいつも壊れ物を扱うように優しく抱いていた。

 

だが、その記憶も少しずつ薄れてきた。離婚するよりはるか前から触れなくなった肉体が、その後どのように変化したのか知らないまま、妻とは他人になった。

 

(最後に抱いとけばよかったかな)

 

どうせ拒否られると思ったから誘わなかったが、しいて言えば、そのことが一番心残りだった。

 

(もう考えるのはやめよう)

 

マナミがいてくれれば、それだけで充分だ。

 

「マナミ」

 

「ん?」

 

「その……俺と一緒になる気はあるか?」

 

不意のプロポーズに動揺しているのは、目の動きでわかった。

 

しばらく黙った後、マナミは倉田の腕をそっと解き、ベッドから起き上がった。

 

「ありがとう。嬉しいよ。でもね、難しくなっちゃった」

 

「……どういうこと?」

 

「母が『退院して田舎へ帰りたい』と言ってるの」

 

「向こうの病院に転院するのか?」

 

「そうするしかないよね。だから私もついて行こうと思って」

 

想定していなかった返事に、倉田も起き上がった。

 

「ついていくって……実家に帰るのか?」

 

「……ごめん」

 

お別れしたくないからなかなか言い出せなかった、とマナミは言った。

 

「田舎ってどこだっけ?」

 

「福岡。でも市内じゃなくて、外れのすっごくカントリーなところよ」

 

「もう会えないのか……?」

 

「そんなことないよ。この部屋は資郎に返すけど、たまに東京へも来るから、その時は デートしたい」

 

マナミは寂しそうに微笑んだ。

 

+ + +

 

「それさ、たぶん嘘だと思うぞ」

 

いつものバーで話したら、山本にあっさり否定された。

 

「なんで嘘だってわかるんだ?」

 

「だってマナミちゃん、お母さんいないし」

 

「ええっ⁉︎」

 

「前にユカリから聞いたけど、小さい頃両親が離婚して、マナミは父親と祖母の家で育ったらしいぞ。まーユカリに話したことが真実とは限らんが」

 

倉田は深いため息をついた。

 

嘘をつくメリットのない相手に、作り話をする必要はない。おそらくユカリが聞いたことのほうが真実で、倉田に話したことはハッタリだったのだろう。もちろん目的は、倉田と穏便に別れるためだ。

 

「オンナは女優だからなぁー」

 

山本に茶化されて、ますます倉田は気分が滅入ってきた。

 

「あ、俺がバラしたってことは内緒な。マナミちゃんの小芝居も怒らずに、最後までつき合ってやれよ」

 

「なんでだよ。だって騙されたんだぜ?」

 

「知らなかったら『涙のお別れ劇場』になったわけだろ? どうせアイツらにとって俺たちは『金づる』でしかないんだから、大人らしくキレイに別れるほうがカッコいいぜ」

 

「……」

 

納得がいかない。

 

倉田はふと、以前妻の雪江から渡された興信所の封筒を取り出した。

 

大人げないのは百も承知だ。だがこれほど金銭を投じ、離婚までした自分が、このままでは報われない気がした。

 

(調べてみる(※)か……)

 

封筒から取り出した報告書に書いてある電話番号に、倉田はかけてみることにした。

 

(つづく)

~監修税理士のコメント~

※興信所への調査依頼は経費にできる?
 

編集N 「従業員の素行調査」という名目ならば、興信所にかかる費用も経費にすることは可能ですか?

 

税理士 企業でも、「不正(横領)の疑い」「スパイ疑惑」など、素行の怪しい従業員に対し、興信所へ身辺(素行)調査を依頼することはあり得ますね。その場合の調査費用は、「調査費」や「支払手数料」にて計上できます。

ただ、今回の調査対象者は役員や従業員ではなく、社長の「愛人」ですから、法人の経費とすることはできません。社長(倉田)への給与とみなされて、倉田自身の所得税や住民税の問題にもつながります。
 

編集N でもマナミは一応、倉田の会社では「従業員」ですよね。だったら問題ないかと。

 

税理士 興信所に何の目的で調査を依頼するのか気になりますね。仕事上のことなら理由がつくかもしれませんが、プライベートの調査を興信所に依頼すれば従業員ではない事実も発覚するでしょうし、依頼者との関係もごまかしが利かなくなる可能性が生じます。

 

編集N 興信所相手に、都合の悪いことだけ隠し通すなんて無理ですよね……。

 

税理士 経費として計上するためには、法人宛で請求書を発行してもらう必要があります。万一、税務調査となった場合には、その際の調査目的も問題となるでしょうし、肝心の調査の結果報告書も明らかにすることになります。

 

編集N 「社長の恥部」を晒すことになるくらいなら、節税できなくても個人で依頼するほうが賢明ですね(笑)

 

 

監修税理士:服部 誠

税理士法人レガート 代表社員・税理士

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