<あらすじ>夫である倉田、愛人である巧。両者との関係を解消した雪江は、自らのクリニックを開業するという目標に向けて日々忙しく働いていた。そんな折、ふと診察室で見かけた患者の姿に雪江の心がざわつく。「なんでここに?」。夫の愛人であり、巧の恋人である「真由美」。彼女の初診シートには「妊娠中」と書かれていた…。一部の富裕層しか知らない「愛人」を持つことの金銭的な損得勘定に真剣に迫るリアル小説、女編〜最終回。

 

「真由美」はその後、まだ治療が残っていたにもかかわらず、クリニックへ再訪することはなかった。

 

やはり、雪江に会うことが目的だったのか。今となっては、そうとしか思えない。

 

離婚して半年の月日が流れた。

 

予定通り分院は4月に開業し、雪江は院長としてスタッフ5名を抱える立場となった。

 

雪江のクリニックは、開業時からメディアが取り上げてくれたこともあり、商売的には繁盛していた。予防とホワイトニングなどのデンタルエステメニューを充実させたこともあり、若い女性の患者が掲載誌を見て次々とやってきた。

 

伊藤は、診療後ほぼ毎日分院を訪れ、雪江を誉めたり励ましたりしていた。

 

「俺の目論見通りだったな。雪江ちゃん、さすがだよ」

 

「ありがとうございます。先輩が支えてくれたおかげです」

 

医大時代から約20年。たまたま同じゼミで知り合って以来、1つ先輩の伊藤は何かと世話を焼いてくれた。附属の大学病院から先に独立開業した伊藤に声をかけられなければ、今の雪江はなかったといってもいい。

 

「雪江ちゃん、再婚は考えてるの?」

 

いきなりの話題転換に、雪江は戸惑った。

 

「考えてませんよ。なんでそんなこと訊くんですか?」

 

「もうすぐ半年じゃん。来月になれば、もう誰とでも再婚できるよ」

 

そうか。まだ半年なのか。慌ただしく時間が過ぎていたせいか、離婚はもう遠い昔のことのように思えた。

 

「プライベートでも仲良くしたい、と言ったら、雪江ちゃんは考えてくれるかな?」

 

「……本気ですか?」

 

「あのさ、俺一応独身なんだよね。雪江ちゃんは俺のプライベートなんて興味ないかもしれないけど」

 

忘れてた。伊藤もバツイチだった。たしか前の奥さんは、クリニック開業当時に受付をしていた助手の子だ。

 

「離婚して何年だっけ」

 

「4年。そもそも結婚生活は1年しかもたなかったけどな」

 

「先輩が浮気したんですよね、たしか」

 

「なんだ覚えてるじゃん。むしろそこは忘れてて欲しかったなぁ」

 

アハハ……とふたりで笑った。

 

意外な申し出により、雪江は急に伊藤を「男」として意識した。考えたこともなかった。

 

だが長いつき合いで気が合い、仕事に理解のある伊藤ならば、悪くはないように思えた。

 

「……善処します。でも心の準備ができてないので、まずは友達からで」

 

「もう友達の関係は、長年やってきたじゃないかー!」

 

雪江と接するときの伊藤は、大学時代から変わらない。

 

異性を意識させないフランクな態度は、女性の警戒心を上手にほどく。外見も割とイケメンなので、スタッフの女子からは人気がある。

 

昔は「つまみ食い」もしていたが、雪江から何度か注意されて以来、職場でのお手付きはしなくなった。

 

(再婚、かぁ……)

 

もう結婚はしなくていい、と思っていたが、予想外のところから伏兵が現れた。

 

だが伊藤の申し出をイヤだとは感じなかった。巧に対して感じたようなドキドキは全くない。どちらかといえば、倉田からデートに誘われたときの感覚に似ている。

 

あのときも予想外だった。大学病院で使用しているシステムの不具合対応でやってきたエンジニアの倉田が、唐突に雪江を食事に誘ってきた。

 

「なぜ取引先と?」とは思わなかった。

 

業務で接していたときの倉田は微塵も色気を匂わせなかったが、不思議とデートの誘いは自然と受け入れられた。

 

(今頃、どうしているのかな)

 

ふと倉田のことを思い出したのは、予兆だったのかもしれない。

 

 

***

 

 

「近くのカフェにいるんだが、ちょっと会えないか?」

 

翌日、クリニックを閉めて帰り支度をしていた時、倉田からメッセが入った。離婚して以来はじめての連絡に、雪江は動揺した。

 

しかし昨夜なんとなく倉田のことを思い出したこともあり、雪江は会ってみようと思った。

 

「よくわかったわね。クリニック移ったのに」

 

「雑誌で見たんだよ。開業おめでとう」

 

「開業といっても、前のクリニックの分院よ。雇われ院長だから」

 

でもすごいよ、と倉田は称賛した。

 

「あれから彼女とはどうなったの?」

 

雪江は、気になっていたことを直球で尋ねた。

 

「あ、ああ……アイツとは別れたよ」

 

倉田は苦笑いした。

 

お腹の子供は……?と言いかけたが、雪江は口をつぐんだ。倉田と別れたということは、きっと巧の子なのだろう。そうでなければ、倉田と別れる必要はないはずだ。

 

「なぁ、やり直さないか、俺たち」

 

倉田の言葉に、雪江は少々呆れた。

 

愛人と別れれば、元に戻れると思っていたのか、この人は。男と女としてはとっくに終わった関係でも、家族としては必要なのか。

 

「雪江が今まで以上に働きたいなら、サポートする。この先、自分のクリニックを持ちたいなら援助(※)もできる」

 

やっぱり雪江と一緒に暮らしたいんだ、と倉田は言った。

 

「……無理よ。もう以前の資郎じゃないもの」

 

「やっぱり、許してはくれないか」

 

「反省したならば、次は一生『女として』大切にできる人と一緒になってね」

 

「雪江……」

 

何か言いたげな倉田を残し、伝票を持って雪江は席を立った。

 

店を出てクリニックの駐車場へ戻り、雪江は車に乗り込んだ。そのままエンジンをかけず、ハンドルに顔を埋めた。

 

ちょっとした出来心が、その先の運命を大きく変えてしまうことがある。気がついたときにはもう、戻る道はなくなっている。

 

歯車がずれたのはどこだったのか。巧に出会ったときじゃない。もっと前、倉田が雪江を抱かなくなった頃。

 

女たちに切り捨てられた男は、ひどくやつれて老け込んでいた。

 

思い出はいつだって美化されていく。だが半年ぶりに再会した倉田を見て、雪江は改めて現実を受け止めようと心に決めた。

 

もう雪江の好きだった倉田はいない。

 

今の雪江が求めるのは、一緒に暮らす条件に合う男じゃない。いつかまた、愛人ではなくパートナーとして愛し合える男に、女として抱かれたいのだ。

 

 

(了)

 

 

~監修税理士のコメント~
※独立資金の援助は、贈与税の対象外になる?

 

編集N 元夫とはいえ倉田は他人ですから、資金援助となれば贈与になりますか?

 

税理士 開業(起業)の際の援助となれば贈与になります。そのため雪江には贈与税が課税されますね。贈与税を回避する方法としては2つ考えられます。

 

一つは金銭の貸し借りとする方法です。援助(あげる)ではなく、あくまでも返済することを条件とした金銭の貸借です。この場合には支援された側には返済義務が生じるため財産の移転にはならず贈与税は課されません。

 

二つ目は開業(起業)する事業を法人として、その法人に対して出資してもらう方法です。通常の株式会社で考えれば「株主」として会社(法人)に出資する形態です。出資者は会社(法人)に金銭を出資しているわけで、経営者(雪江)個人に金銭を渡している訳ではありません。そのため雪江個人に税金が発生することはありません。

 

但し、雪江の場合はクリニックですから「医療法人」になりますね。雪江が単独で医療法人を設立するのであれば方法としては可能ですが、伊藤のクリニックの分院という状況を考えると、実現するにはハードルが高いですね。

 

編集N 個人ではなく法人として出資した場合、出資者には節税効果があるのですか?

 

税理士 「出資金」は出資する側にとっては資産になります。従って、出資した時点では経費になりませんので節税効果はありません。

 

出資者が倉田個人ではなく倉田の会社であって、出資先(雪江が経営する法人)が倒産でもすれば、倉田の会社では資産を失うことになるので、そうなった場合には会社で損失処理することが可能です。しかし、出資したお金は戻ってきませんので、節税効果以上の損失にはなりますね。

 

編集N 出資ではなく融資のときの節税効果は?

 

税理士 先ほど述べた一つ目の方法ですね。この場合でもお金を貸した側にとっては「貸付金」という資産になりますので、お金を貸した時点で経費になるものではありません。

 

出資金と同様、貸主が倉田の会社で、その後借主が倒産して貸したお金が回収不能となった場合には、貸倒損失として経費処理することになります。しかし、貸したお金は戻ってきませんので、出資金と同様、節税効果以上の損失になることは間違いないですね。

 

編集N 倉田としては、節税ではなく元妻に対する愛情への投資のつもりだったんですね。あっさり断られちゃいましたけど。

 

税理士 お金で愛は買えないということですね(笑)。

 

 

監修税理士:服部 誠

税理士法人レガート 代表社員・税理士

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この物語はフィクションです。

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