「両立ありき」の考えでは、自分がつぶれてしまう
今の仕事を続けられるかどうか悩んでいる人に、私がいつもみんなに言ってる大事なことがあります。仕事と家庭の両立、家庭を持っていない人なら仕事とプライベートのバランスをどうするかという問題。
あるとき、家庭の事情で仕事を辞めることを決めたスタッフが私にあいさつに来ました。
彼は、私たちの職場での仕事も大好きだった。だけど職場が家から遠く、奥さんも都内で働いているので、彼がまだ小さい子どもの保育園の送り迎えなどをするために家の近くで働けるところに転職しなければならなくなったというのです。
「家庭のことと仕事のこと、両立できなくてすみませんでした」
彼はそう私に言ったのですが、私は「それは違うんじゃないかな」と彼に話したのです。そもそも私自身、家庭と仕事を両立させようなんて思ったこと一度もないよ、と。
家庭と仕事と言ったって、仕事がうまくいかないときもある。そんなとき、自分には家庭があってよかったなぁと思うんです。でも家庭もうまくいかないときだってある。そのときは「自分には仕事があるから大丈夫だ」って。
つまり、家庭と仕事、両方持っていることがいいことなのであって、両立とかどっちもうまくいかなきゃなんてことはない。だから肩の力、ちょっと抜いていいんだよという話を彼にしました。
そうじゃないと、また次の職場で同じことが起こってしまう。これから子どもが増えたり、また状況が変わるかもしれないのに、両立できないとダメだなんて思っていたら自分がつぶれてしまいます。それは違うんじゃないかと思うから。
リハビリの「活動度」と同様、何ができるか考えてみる
もちろん私も家庭は大事だと思いますが、どちらが常に優先ということでもなく、両方がバランスを取りながら生きているのがこの世の中。
人生をネガティブに考えることなんてないと私は思っています。どっちかがうまくいって、どっちかがうまくいかないときもあるし、そのときはそれでいいんだよって言いたい。
これはリハビリテーションの考え方とも共通してます。医者というのは、つい「安静度」の考え方をしてしまう。たとえば38度の熱があればお風呂もダメで横になっているように指示を出す。そうすると患者さんは37・5度ぐらいになると落ち着かなくなるんですね。もう動いちゃダメなのかな、お風呂も控えたほうがいいのかなって。
そうではなく本当は「活動度」で考えることが大切なんです。38度までは、起き上がっていてもお風呂に入っても大丈夫ですよという指示をしてあげるほうが患者さんも気持ちが楽だし動きやすいわけです。
「安静度」は制限のための指示で、「活動度」は可能なことの提示。~がうまくいかなかったらダメという考え方は「安静度」と同じで自分に制限をかけてしまう。
~は今ちょっとうまくいってないけれど、こっちはうまくいってるから大丈夫という「活動度」の考え方のほうが、当然前向きになれます。
そんなふうに考えてると、そのうち両方がうまくバランス取れるときもくるんですから。