徹夜で仕事に励むCさん、定時帰りで人脈豊富なDさん
中堅広告代理店に勤める32歳のBさんには、親しくしている二人のビジネスパーソンがいる。一人は40歳の日本人Cさんで、大手商社からメガバンクに引き抜かれたやり手の銀行マンだ。もう一人はCさんと同い年のアメリカ人Dさんで、外資系投資銀行のエクスパット(日本法人への出向社員)だ。
二人の仕事のやり方はとても対照的である。
Cさんは管理職で、それまで築きあげてきた人脈を最大限に有効利用している。フットワークが軽く、商談も巧みである。接待は営業マンの大事なスキルであると豪語していて、いつかは『接待力』という本を書くのではないかと噂されているぐらいだ。いつも帰宅は午前様だと半ば自嘲的にいっている。
一方Dさんも、Cさんに負けないほどの人脈を持っている。その人脈は世界の金融センターであるニューヨーク、ロンドン、香港、シンガポール、ドバイなど多国にわたっている。日本人の顧客に好感を持たれるための努力も欠かさず、最近では日本語のジョークさえも身につけはじめている。
だがCさん的な接待をすることはなく、夜に残業することもほとんどない。その代わりに朝6時過ぎにはオフィスに来て、主に電話会議、メール、そして月に数回の海外出張で人脈を保っている。彼はその情報収集力、そこから生み出される運用実績の高さにプライドを持っている。
コーチングのセッションで顕在化した「熱い気持ち」
その二人とランチをして、Bさんが気づいたことがある。
Cさんは、母校であるT大の同級生の某がXX商事にいるが彼は使える人だとか、同期の某がIT企業に転職したとか、話題がいつも周囲の人間の噂に限られているのだ。
一方Dさんは自分の話をすることはあまりなく、いつもBさんの不安や不満をにこやかに聞いてくれる。そしてさりげなく、Bさんの言動が彼にはどのように聞こえるかを伝えてくれる。不思議なことにDさんと別れた後は、頭の中がうまく整理されてより前向きな姿勢になっていることに気づくのだった。
ある日、今後の自分自身のキャリアについて悩み、Cさんに尋ねたところ、そんな無駄なことを考えている時間があったら、飲みにいって仕事をとってきたらという答えが返ってきた。
Dさんに同じ質問をしてみたところ、まず彼自身のキャリア開発について語り、そのプロセスの中に、彼のコーチがいかに重要な役割を果たしているかを説明してくれた。そこでBさんはそのコーチを紹介してもらえるよう頼んでみた。
翌週、BさんはDさんのコーチと会ってみた。彼はニューヨーク出身のアメリカ人だったが、10年前に銀行マンとしてやってきて以来、日本の素晴らしさに魅了され、永住する決意をした親日家である。
コーチングのセッションは、自由が丘にある彼の自宅兼事務所で行われた。4畳半ほどの小さな部屋の書棚にはリーダーシップやグローバル経営に関する本がぎっしりと並べられ、知的な感じがとても居心地がよかった。
Bさんは今後の自分のキャリアについて悩んでいることを率直に伝え、答えを求めた。彼は静かにBさんの子どものころや、大学時代の話をいろいろ訊いてきた。そしていまの広告代理店に入るきっかけについて話し出したときに、Bさんの頭に大きな衝撃が走った。
卒業旅行で行ったパリでレイモン・サビニャックの企業広告に感動して、広告の仕事を目指した自分を思い出したのだ。
週のうち2日は徹夜のようないまの生活では、目の前の仕事をいかに片付けていくかが優先事項になってしまっていた。逆に忙しくしていることで、そのスピードについていっているという安心感も得られていたのだ。
だがその対極にあるのが、仕事への感動や自分の価値観に基づいた夢だ。そんなことを口にすれば青臭いと思われ、また子どもじみたことをいわないでさっさと仕事をしろといわれそうな雰囲気が会社にはあった。
確かにその空気を否定してしまえば、仕事が回らなくなるだろう。だからといって、自分の夢や情熱を捨て去ってしまうことはイコールではない。なぜなら自分らしさを抜きにしたハードワークは、バーンアウト・シンドローム(燃え尽き症候群)に繋がるからだ。そんな同僚をBさんはこれまでにもたくさん見てきた。
コーチングセッションを通して、Bさんはそれらのことに気づいた。教えられたのではなく、自分の潜在意識の中にあった熱い気持ちが再び顕在化してきたのだ。
DさんとDさんのコーチに共通しているのは、主体的に人生を生きていることだ。自分自身の強み弱みを理解し、自らの価値観を大事にしつつも、彼らにとっては外国である日本で仕事をするときには日本語や異文化のスキルを身に付けている。まさに彼らはグローバルな人材なのだな、とBさんは感じた。
その後、Bさんは数ヶ月前まで悩んでいた自分といまの自分を比較して、明らかに何かが違うと気づいた。キャリア開発には損得計算ではなく、自らの価値観や思いが不可欠であることを自覚したからだ。
そして、サビニャックのような才能を持ったクリエイターを中国やベトナムで探してみたいと強く思ったBさんは、彼の地への赴任を上司に相談しようと決意したのだった。