ITの発達で、どこでも「最高峰の学び」が可能に
実は、日本の教育レベルの高さは、昔ほどの魅力にもならなくなった。なぜならば、ITの発達により、世界中どこにいても最高峰の学びができるようになったからだ。
MOOCという言葉を聞いたことがあるだろうか。MOOCとは、Massive Open Online Course(大規模に開かれたオンライン講義)の頭文字4つをつなげた造語で、インターネット上で誰もが無料あるいは低価格で受講できる講義のことである。
そもそも、学ぶことは大学や研究所といった、閉ざされた環境でしかできないわけではない。これまでは、伝達手段が限られていたために、時間的・物理的な制約から通学が必要だっただけで、インターネットを使えば、学びたい人がいつでもどこでもアクセスできる学習リソースを作ることが可能になった。
2006年頃から、MIT(マサチューセッツ工科大学)やIIT(インド工科大学)、スタンフォード大学、カリフォルニア大学、オックスフォード大学といった名だたる大学が、次々とオンライン講座を開設していった。
MOOCのほとんどは、グローバル言語である英語での講義になるが、日本にはJMOOCなる日本語のオープンサイトも存在している。一度「JMOOC」で検索して、開いてみてほしい。国籍や年齢、住んでいる場所を問わず、誰もが好きなときに学習できる環境が、刻々と整えられているのがわかるだろう。
MOOCの一環として、一般的にも有名になったのがTED(Technology Entertainment Design)だ。各界の著名人を集めて講演をしてもらうTEDのスピーチは、エンターテイメント色が強く、人をインスパイアでき、モチベートできるため、有志の手によってすぐに字幕がつけられるほどの人気がある。
これら、MOOCやTEDが高いIQを持つハングリーな人材に提供されると何が起きるだろうか。高学歴だがハングリーさに欠けるサラリーマン体質の日本人ビジネスパーソンは駆逐されていくだろう。差し迫っている危機に気がつかなければならない。
世界の学習環境が整えば、意欲のない者は淘汰される
MOOCのような試みは、まさに国家による教育水準の格差を最適化する。たとえ新興国にいても、英語を習得しWebに接続できさえすれば、先進国の教育コンテンツが享受できるのである。
Webでは学習機会の格差は少なくなってきているが、それがかえって他の格差を助長するようになった。それを使いこむか、使いこまないかで知識やスキルの習得に格差が生まれ、その結果、エンプロイアビリティ(雇用される能力)の格差が生まれる。
学習の環境が整うとそれを有効活用する意欲のない者はますます取り残されていく。グローバル化に即したスキルに対して無闇に苦手意識を抱き、何をすべきかを模索しているだけの人は多いが、もはや「いまのままでいい」という考え方では通用しなくなっていくだろう。
その間に、世界中にいる学習意欲の高い人材が、チャンスを最大限に自分のものにして、ビジネスの能力を向上させている。
いま個人として自らをグローバルな場でプロとして通用する人材にレベルアップさせなければ、これまでに身に付けているスキルや経験も活かす場がなくなっていく。しかしいったん、明確な意識のもとに自己改革を行えば、あなた自身もあなたを取り巻く状況も想像を超えて向上するだろう。
パーソナル・グローバリゼーションがレバレッジ(てこの作用)となって、いま、あなたが発揮している専門スキルや経験を、グローバル市場だけでなく国内市場でもさらにバリューを発揮するものに変えるからだ。
いまはまだ、パーソナル・グローバリゼーションよりも、明日のスケジュール表を埋めた業務しか意識にない人がほとんどかもしれない。だが、それを3年、5年続けているとあなたの業務が新興国にそっくりアウトソースされることも想定されるのだ。
「いつか考えよう」
「まだいいだろう」
その言い訳は、誰のためになるのだろうか? あなたを変えられるのは、あなただけなのだ。