「先ほど、残金を全額、振り込ませていただきました」
前回の続きです。
ある会社で、含み損を抱える土地の売却を、進めていました。
根抵当を盾に、A銀行は融資額をさらに増やそうとしました。
そこへB銀行が手を貸してくれました。
根抵当を外すのに必要な資金を、無担保・無保証で、貸してくれたのです。
これで、A銀行に全額一気に返済する、準備が整ったのです。
B銀行の支店長は言いました。
“〇月〇日の9時30分に、
A銀行の支店長にアポを取り、訪問してください。
9時すぎに、私共からA銀行に、返済資金を振り込みますから。”
その、Xデーがやってきたのです。
その日は私も、同行しました。
その会社から、A銀行の支店まで、車で5分ほどです。
9時過ぎに、B銀行の支店長から、経営者に電話が入りました。
“今、A銀行への振込を完了しましたので。”
“わかりました。A銀行へ向かいます!”
私たちは、会社を出ました。ミッション開始です。
その日はとびきり暑い朝でした。
少し早めにA銀行へ到着しました。
支店長が、玄関先の植木に水をやっていました。
“支店長、おはようございます!”
“おはようございます。これはお早いご到着ですね。”
表面上はお互いに笑顔ですが、お互いに腹の探り合い、
といった雰囲気なのです。
“どうぞ、お部屋に案内いたしますので。”
水やりを終え、支店長室へと案内してくれました。
こちらは私含めて3名、
先方も副支店長、営業担当を含めて3名でした。
挨拶もそこそこに、支店長が切り出しました。
“いやあ、最近は政治も経済も不安定で、
いったい、いつ何が起こるかわからない世の中ですねぇ…。
ところで、今日はいったい、どのようなご用件でしょうか?”
暑い日でしたが、その笑顔は冷ややかでした。
急にアポを取るのは、何かある、と踏んでいたのだと思います。
これまで交渉をしてきた、専務が言いました。
“ええ、実はですね。
今日は改めて、根抵当の解除をお願いにまいりました。”
“その件でございますか。
しかし・・・、その件は以前にも申し上げた通り、
全額返済いただいた際に、解除させていただきますので・・・。”
“そうでしたよね。
なので、お伺いさせていただきました。”
“えっ?どういうことでしょうか?”
“先ほど、残金を全額、振り込ませていただきました。”
支店長の表情から、笑顔が消えました。
「こういうやりかたしか、ないんじゃないですか?」
“どうなの?”
支店長は、営業担当に聞きました。
“いえ、特に動きはなかったのですが…。”
やはり、朝イチバンでの口座状況は、チェック済みでした。
B銀行の支店長が言ったとおりです。
その様子をみて、専務が言いました。
“振り込んだのは、ついさっきですから。”
“すぐ確認して。”
営業担当は、すぐ確認に走り、
最新の入金状況を印字した用紙を手に持って、戻ってきました。
支店長は、奪い取るようにして、その用紙に目を凝らしました。
営業担当、副支店長も、両サイドから顔を近づけました。
副支店長が指さし、言いました。
“入って、ますね・・・。”
顔を近づけあった3人の目が、テンになった瞬間でした。
“こ、これはいったい、ど、どういうことでしょうか?”
支店長の声が震えました。
“言われた通りに、全額返済させていただきました。
なので、根抵当を解除いただけますよね。”
“いや、まあ、そうなんですが。
そのようなことなら、先に一言おっしゃっていただければ…。”
“真っ先にお願いしたときに、お断りされたので、
言われた通りにしたまでです。
そこに出ているように、B銀行は、我々の望むスキームに、
協力していただけましたので。
解除していただけますよね?”
“わ、わかりました。こういうことであれば、しかたがないですね・・・。”
“お願いします。”
“しかし、こういうやりかたは、どうかと・・・。”
“こういうやりかたしか、ないんじゃないですか?”
専務が言い返しました。
“・・・・・。”
支店長は、何も言えませんでした。
まさに支店長の言葉通り、
いつ何が起こるかわからない世の中、だったのです。
ようやく、
根抵当解除の申し入れ用紙を受け取り、支店長室から出ました。
“ありがとうございました!”
何も知らない銀行員の、妙に元気な声が、響きました。
支店長以下3人の表情とは、対照的でした。
A銀行にとっては、
まさに億単位の融資が一気に消え去った、瞬間だったのです。
こうしてようやく、A銀行の根抵当は、解除できたのです。
(続)