実業家、チャールズ・ブースの研究の概要
再現性のある方法で、居住者のライフスタイルを体系的に分類し地図に表現し、さらに居住者の違いが特定の小売りの集積と関係があることを明らかにしたのは英国の実業家チャールズ・ブース(1840~1916)であった。
海運業で成功した彼は、実業家の顔を持つと同時に「科学的貧困調査の創始者」としても知られる社会活動家、統計家でもある。1889年に発表された「ロンドン貧困地図」は社会地図の元祖といわれている(Richard Harris, Peter Sleight, Richard Webber, Geodemographics, GIS and Neighborhood Targeting, 2005.)。
19世紀後半のビクトリア朝のロンドンは産業化の波により、新しい職を求めて大量の人々がロンドンへとなだれ込んだ。
19世紀初頭100万都市のロンドンは1世紀後にはその6.5倍の 650万人へと急増。大英帝国の絶頂期の世界都市は、人口の増加に社会インフラは追いつかず、貧富の差は拡大。シャーロック・ホームズに言わせれば「高度な犯罪社会を科学的に研究するには、ヨーロッパのどこの首都よりうってつけの都市」(アーサー・C・ドイル『ノーウッド建築業者』光文社文庫『シャーロック・ホームズの生還』収録、日暮雅道訳、2006年)であった。
急激な人口増加は主要な鉄道網と駅が整備され、ロンドン中心部へのアクセスが格段によくなったことにもよる。現在、ロンドン市内とヒースロー国際空港をつなぐ、クマのぬいぐるみで有名なパディントン駅(1838年開業)、ハリーポッターが魔法学校に行くとき利用するホグワーツ特急9 3/4番線のあるキングス・クロス駅(1856年開業)などは19世紀に整備されたものだ。
貧困は個人の責任か、それとも社会問題か
当時ロンドンでは増大する貧困問題対策について二つの議論が衝突していた。慈善組織協会の主張する貧困の原因は個人の資質であり怠け者だから貧乏になるという立場と、その反対に個人の資質ではなく社会構造に問題があるという社会民主連盟の両陣営による個人か社会かという対立であった。
個人が原因であるのだから「個人の自助努力で撲滅すべき」と主張する慈善組織協会と、そうではなく社会問題なのだから「社会が補償すべきである」とする社会民主連盟のどちらの主張が正しいのか。このような議論が盛んになったのも1870年代からはじまる不況が原因といわれている。
議論が白熱するなか、社会民主連盟がロンドンの「労働者階級の4の1以上の人びとが人間として健康を維持するのに不適切な生活を送っている」という衝撃的な調査結果を発表した。実に25%の人が最低限の生活ができない極度の貧困層というのだ。
チャールズ・ブースはこの大げさな数値は社会民主連盟の主張を正当化しようとするための誇張ではないかと考えた。海運業で成功した経営者として、資本主義は雇用を創出し、人々を豊かにする原動力であるという信念を持つと同時に、当時資産階級には労働者を搾取しているのではという罪の意識もあった(『チャールズ・ブース研究─貧困の科学的解明と公的扶助制度─』阿部寛著、中央法規出版)。
実業家であり実証主義者のチャールズ・ブースは、私費を投じてロンドン市内の貧困層を明らかにすべく社会活動家の仲間と一緒に統計調査の再集計と学校に通う子供のいる家庭を対象に聞き取り調査を実施して、貧困の実態を色分けした地図に落とし込んだ。結果は社会民主連盟の主張よりも5%以上多い30.7%が貧困層であるという皮肉な結果となった。
5年におよぶ調査の結果、明らかになったのは「個人の資質そのものより社会環境が貧困の原因となる。社会で支援するべきである」という結論であった。
チャールズ・ブースの一連の研究は今日知られる英国の福祉国家としての歩みに多大な影響を与えた。現在、このロンドンの貧困地図と彼の調査の詳細については次のURLで閲覧することができる(http://booth.lse.ac.uk/)。
ちなみにシャーロック・ホームズのオフィス兼アパートがあったとされるベーカーストリートにはレンガ造りのアパートを改造した博物館があり、小説で登場するホームズのオフィス兼居間が再現されている。狭いベッドルームと試験管やら証拠品などで雑然としたオフィスには世界中から観光客が訪れる。博物館のある場所をチャールズ・ブースの地図で確認してみると「中産階級と貧困層が混在したところ」と分類されている。そして、その裏通りは「貧困層」が住んでいると記載されているが、現在はおしゃれなアパートとなっている。