納税者が直接都庁へと押しかけ、税制に異議を唱えた
1994年(平成6年)、バブル崩壊後の固定資産税の異常事態に、多くの納税者が黙っていられなくなり、行動を起こしました。
東京では、固定資産税の評価額の引き下げを求めて多くの納税者が集まり、都税事務所ではなく直接都庁へと押しかけて、固定資産税の税制に対して異議を唱えたのです。
この動きにマスコミが関心を寄せ、さまざまなニュース媒体で報じると、固定資産税に対する陳情は全国各地で見られるようになりました。その結果、全国で提出された不服審査申し出の件数は2万件以上に達し、訴訟が提起されたものだけでも200件近い数になりました。
この固定資産税の税制に対する全国的運動が「平6事件」と呼ばれたものです。
これらの動きもあって、1996年には固定資産評価基準の一部改正により、固定資産税評価額は公示価格の7割を目途にするということが通達によって決定されました。これが「7割評価」です。
さらに、1997年の評価替えでは、今まで一般には見えていなかった固定資産税の算定基準となる「路線価」が全面的に公開されることになりました。
リーマンショック後、再び始まった固定資産税の暴走
これらのことをきっかけとして、その後の固定資産税の税制は大きく変わっていくことになります。そして、路線価が公開されたことで固定資産税の正体自体も少しずつ納税者の目に見えてきました。
こうした動きの最中に世界はリーマンショックに襲われ、固定資産税の暴走は再び始まってしまったのです。これを機に、納税者の怒りは頂点に達しました。
私自身も、このまま固定資産税の暴走を許しておいては納税者がどのような犠牲を強いられるかわからなくなるという思いを抱き、もう自分で積極的に行動していくしかないという判断に至りました。