「ここなら一人でも安心だから」母が自分で決めた住み替え
「一人でいると、夜がちょっと怖くなってきたのよ」
長男の孝之さん(仮名・56歳)に母の節子さん(仮名・83歳)がそう話したのは、半年前のことでした。
節子さんは夫を10年前に亡くし、長年暮らしたマンションで一人暮らしを続けていました。年金は月約15万円、預貯金は約1,700万円。身の回りのことは自分ででき、要介護認定も受けていません。
しかし80歳を過ぎてから、以前ほど外出しなくなりました。
ある冬の朝、浴室の入り口で足を滑らせたこともあります。けがはありませんでしたが、「もし動けなくなっても、誰にも気づいてもらえないかもしれない」と不安になったといいます。
孝之さんは車で1時間半ほど離れた場所で妻と暮らしており、仕事もあります。毎日様子を見に行くことはできません。
そこで節子さん自身が興味を持ったのが、サービス付き高齢者向け住宅でした。
サ高住は、バリアフリー構造など一定の基準を満たし、状況把握(安否確認)と生活相談サービスを提供する高齢者向けの住宅です。国土交通省『サービス付き高齢者向け住宅の登録制度の概要』によると、2024年12月末時点で全国に8,323棟、28万9,013戸が登録されています。
親子で数ヵ所を見学し、節子さんが選んだのは、自宅からそれほど遠くない場所にあるサ高住でした。
居室にはトイレや洗面設備があり、食事は希望すれば1日3食頼めます。職員による安否確認もあります。
「ここなら一人でも安心だから」
節子さん本人も納得して契約しました。
元のマンションはすぐには売却せず、しばらく残すことにしました。孝之さんが「住んでみないと分からないこともあるから」と提案したためです。
最初の数週間、節子さんからは、
「ご飯を作らなくていいから楽よ」
「何かあれば人がいると思うと安心する」
と前向きな話を聞いていました。
ところが2ヵ月ほどすると、電話での様子が変わります。
「どう? 慣れた?」
「まあね」
以前ならいろいろ話していた母が、短く答えるようになりました。さらに1ヵ月後、節子さんから突然電話がありました。
「孝之、今度の日曜日、迎えに来てくれない?」
「どこか行きたいの?」
「家に帰りたいのよ」
孝之さんは、一時的な外泊のことだと思いました。しかし節子さんが口にしたのは、「もう、あそこには戻りたくない」という言葉でした。
