「車がある今」ではなく、10年後の生活を考え…
腰が回復した後も、正志さんの気持ちは元には戻りませんでした。それまで便利だと思っていた車が、暮らしを支える道具ではなく、生活を成立させるための必須条件だったと気づいたからです。
「今はまだ運転できる。でも、75歳、80歳になったらどうするんだろう」
和美さんも、同じ不安を抱えていました。
近所には、高齢になって免許を返納した後、週に一度の移動販売を利用している人がいました。別の住民は、子どもが月に数回来て買い物や用事を手伝っていました。しかし、正志さん夫婦の子どもは遠方に住み、日常的な支援を頼める状況ではありません。
宅配サービスも調べましたが、地域によっては配達日が限られ、冬には天候の影響を受けることがあります。町が運行する予約制交通もありましたが、利用時間や目的地が決まっており、自家用車と同じようには使えません。
農林水産省『令和7年度「食品アクセス問題(買物困難者)」に関する全国市町村アンケート調査』でも、高齢化や食料品店の減少、地域公共交通の機能低下により、食料の入手に不便を感じる人が増えているとされています。
夫婦は半年かけて、現在の家を売却し、地方都市の中心部にある中古マンションへ移ることを決めました。新居は駅から徒歩圏内で、スーパー、役所、銀行も歩いて行けます。自然の多さでは山あいの家に及びませんが、車を使わなくても暮らせることを優先しました。
売却価格は購入時より低く、引っ越し費用や仲介手数料もかかります。それでも、夫婦は元気なうちに住み替えるほうがよいと判断しました。
総務省『家計調査報告(家計収支編)2025年平均結果』によると、65歳以上の夫婦のみの無職世帯の実収入は月25万4,395円、可処分所得は22万1,544円。正志さん夫婦の年金額は平均に近い水準ですが、住み替えや車の維持、住宅の修繕には、毎月の生活費とは別の資金が必要です。
「田舎暮らしが失敗だったとは思っていません。楽しい時間もたくさんありました。ただ、私たちは車を運転できる間のことしか考えていなかったんです」
移住先を選ぶ際には、現在の生活だけでなく、運転をやめた後の買い物や移動方法まで確かめておく必要があります。短期間の滞在では気づきにくいからこそ、季節を変えて地域を訪れ、公共交通や宅配、周囲に頼らず生活できる範囲を具体的に確認することが、老後の住まい選びでは重要になります。
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