「今ここを離れて、本当に大丈夫?」妻が口にした迷い
修一さん夫婦は、地域包括支援センターに相談しました。静江さんは医療機関を受診し、すぐに常時介護が必要な状態ではないものの、今後は定期的な見守りが必要だと説明されました。
訪問介護などのサービスを利用する方法もあります。しかし、静江さんは知らない人を自宅に入れることを嫌がり、施設への入居にも強く抵抗しました。
修一さんには妹がいますが、遠方で子育てをしながら働いており、頻繁に通うことは困難です。
移住先から静江さんの家までは、車と電車を乗り継いで約4時間。体調の変化や急な呼び出しがあっても、すぐには駆けつけられません。
「家を買ったあとに何かあったら、簡単には戻れないよね」
恵美子さんの言葉に、修一さんは返事ができませんでした。
翌日、不動産会社に連絡し、契約を見送ることを伝えました。まだ売買契約の締結前だったため違約金は発生しませんでしたが、調査や移動にかけた費用は戻りません。
「母のために移住を諦めた、と言い切るのは違うと思います。私自身が、離れたまま何か起きることに耐えられなかったんです」
厚生労働省『2022(令和4)年 国民生活基礎調査』によると、要介護者などの主な介護者は、同居家族が45.9%を占めています。また、別居する家族などが主な介護者となっているケースも11.8%あり、親と離れて暮らしていても、子どもが介護や見守りを担うことがあります。
夫婦は現在の自宅に住み続け、週に2回ほど静江さんを訪ねています。介護認定の申請も進め、配食サービスと見守り機器の利用を始めました。
一方、恵美子さんの胸には、割り切れない思いも残っています。
「私たちも、元気に移住し生活できる時間は限られています。数年後に母の状況が落ち着いても、そのとき同じように動けるかはわかりません」
夫婦の年金月20万円は、二人の生活を維持するだけなら大きく不足する金額ではありません。しかし、総務省『家計調査(2025年)』によると、65歳以上の夫婦のみの無職世帯では、可処分所得が月22万1,544円である一方、消費支出は26万3,979円。平均的には毎月の手取り収入を支出が上回っており、移住費用だけでなく、その後の生活費や介護費も見込んでおく必要があります。
修一さんは今も、気に入った平屋の写真を消せずにいます。
夢を完全に諦めたわけではありません。ただ、あの夜に届いた「一人でいるのが怖い」というメールによって、自分たちの老後だけを考えていた計画に、母のこれからも加わることになったのでした。
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