日本人と同様、真面目で勤勉というドイツ人だが・・・
ドイツ人と日本人は経済に強い国民で、真面目で勤勉でよく働くところが似ているといわれます。しかし違うところも大いにあります。ドイツも日本も英仏に較べて、経済後進国として遅れてスタートしたため、帝国主義勢力にあとから強引な割り込みをはかりました。最後は向こう見ずな戦争に挑んで、ともに国が滅びるところまで追い込まれました。
足腰立たないほど叩きのめされたのに、この二つの国は経済復興に取り組み、真剣に努力して、経済大国の地位を獲得するところまで盛り返しました。西と東で同じような運命をたどった二つの国にはどんな共通点、あるいは相違点があるのでしょうか。
一九八〇年代に入ったところで、二度目のヨーロッパ勤務でドイツ行きを命じられた時、フランス語系の私は少々困惑しました。しかしそれは、それまでフランス側の観点で外からしか見ていなかったドイツを、内側でたっぷり観察するまたとないチャンスでもありました。
そのころの日本経済は高度成長は終わっていましたが、まだ経済成長期にありました。ヨーロッパでは経済復興の先頭集団を走っていたイギリスが、ピークを過ぎたためかスピードダウンし、「イギリス病」という言葉がしきりに使われるようになりました。サッチャー首相が登場するよりまだ数年前のことです。
大陸では西ドイツが勤勉な仕事ぶりで経済優等生といわれていましたが、八一年の私のドイツ行きの寸前に、新聞に「西ドイツよ、お前もか」というコラムが掲載され注目を集めました。このところ西ドイツ経済の診断の指標となる輸出が落ち込んでいて、西ドイツもイギリスのように「西ドイツ病」にかかってしまったのではないかというものでした。ドイツ人も働き疲れしたのか、あるいは豊かさで気が緩んでしまったかと考えられたのです。
当時の首都だったボンに赴任した私の最初のテーマは、ドイツ人の働きぶりについてでした。果たしてドイツ人は働かなくなったのか。なるほど言われていた通り、商店街は午後六時になるとピシャリと扉を閉めてしまいます。週末のデパートも土日は完全にピシャリ。ここまでは前から東京で聞いていた通りですが、実に徹底しています。六時閉店の五分前に駆け込んでも、受け入れてくれません。そこをなんとかと頼み込んでも、明日いらっしゃいとシャッターを下ろし始めます。しかしこれは昔からの慣習です。
当時すでに完全週休二日制でしたが、金曜の午後には多くのオフィスで人影が少なくなりました。すでに自主的週休二日半制が始まっていました。
時間やルールに厳格なドイツ人の気質
●時間は日本人並みに正確
娘の家庭教師はドイツ人の女子大生でしたが、毎週実に正確に、一分も違わず玄関前に姿を現しました。フランス人は、一五分遅れが当たり前。時には三〇分くらい待たされます。
●サービス精神は日本とまったく大違い
デパートの包装は茶色の紙袋に入れて手でしぼるだけ。売り子は中年女性が多く、あまり笑顔を見せずに、怒ったような顔をしています。日本のデパートのいたれり尽くせりに馴れている感覚からすると、もう少し何とならんものかと思います。
当時ラムスドルフという日本びいきの経済大臣がいましたが、日本に行くたびに日本のサービスに感激して帰ってきて、ドイツも日本に学べとしきりに叫んでいました。ドイツに長く住んでいるドイツ通に会うたびに尋ねました。「ドイツ人があまり働かなくなったのは最近のことですか?」答えはいつも同じでした。「いやあ昔からこんなものですよ」。
●規則好きのドイツ人が規則を守りすぎるので困ることも
弱いイタリア・リラを売ってマルクを買う激しい投機が、しばしばマーケットを襲いました。資本市場と貿易市場に仕分けする二重市場制を採用したらどうかという提案が、EC閣僚理事会で討議されました。しかしイタリア人はどうせ適当に分類するだろうし、ドイツ人はくそ真面目に分類するから時間がかかって非効率だということで、この話は立ち消えになりました。
●法律で決められた休みの権利は完全に行使
日本の休みのとり方もだいぶ改善され、残業が減ってハッピー・マンデーの三連休がやたらと増えましたが、長い休暇のとり方や男性の産休など、較べれば雲泥の差があります。ドイツ人は休暇の権利は一〇〇%使いきります。
●無駄な競争をしない
誰かがいいものをつくればそれはその人のメリット。同じものをつくろうとはしません。日本ではあっという間に似たものが次々出てきて、激しい競争になりますが、様子がまったく違います。ドイツ人は同じもので競争するのではなく、自分は他人とは別のものをつくる、それが競争だと考えるようです。
引っ越しをして、新しいカーテンに替えようとカーテンレールを探しに出かけたことがあります。驚いたことに、カーテンレールはドイツ全国で二種類しかないということでした。