政府からの「独立性」を守ることが鉄則に
ドイツの中央銀行は、ドイツ連銀、ブンデスバンクです。厳しいインフレの監視、通貨の価値の守り手として、その存在は世界で高く評価されました。ECBの成立以後はその下部組織になりました。
ドイツの中央銀行はまずプロイセン王立銀行に始まり、ヒトラーの時代にドイツ帝国銀行ライヒスバンク(Reichsbank)になりました。ライヒスバンクの時代に大変苦しい経験を味わいました。ヒトラーが軍備の大拡張をするため、マルクの大量発行を強要したのです。これに抵抗した当時のシャハト総裁は辞任を迫られ、最後はヒトラー自身が総裁になりました。ヒトラーは膨大な戦費をまかなうためマルクを刷りまくり、滅亡への道をまっしぐらということになりました。
中央銀行の政府からの独立性の確立が、ドイツ連銀の鉄則になっているのはこのためです。ヒトラーがまた現れることはもはやありえませんが、中央銀行の政府からの独立性は現代でも重要です。政府というものは政策実行のためのお金をいつも欲しがります。これを抵抗なく認めていては経済の秩序が乱れます。日本では日銀総裁が言うことを聞かないと、「あいつを首にしろ」と政治家が叫んだりしますが、ドイツでは絶対にありえないことです。
ハイパーインフレを招いた歴史が教訓
ドイツ連銀のもう一つの鉄則が、通貨の価値を守ること、つまりインフレの抑制を第一の目標に金融政策を運営することです。これはナチスよりもっと以前の、きわめて苦い経験から生まれた思想です。ドイツは第一次世界大戦で完敗し、巨額の賠償金を課されました。一八七一年の普仏戦争でフランスを破った時、ドイツの前身プロイセンは、フランスから目玉の飛び出るような賠償金を取り立てました。第一次大戦後はフランスの思いきりの報復です。
賠償金の支払いのためライヒスバンクは、大量のマルクを発行しました。通貨量がコントロール不可能なほど膨張し、一九二三年に入ると物価は天井知らずの急上昇。あっという間に一兆倍の超インフレに突入してしまいました。歴史ドキュメンタリーのフィルムで、リヤカーにマルク紙幣を山積みして買い物に行くドイツの市民の姿が映しだされるのをご記憶の方も多いと思います。
ドイツ連銀は四九年、戦後の連合軍四か国による占領が終わって西ドイツの独立が回復された時、創設されました。連銀法は冒頭から、通貨の価値の守り手であり、政府からの独立性を確保するものであることを明記しています。
ドイツ連銀は、同じ連邦国家であるアメリカの連銀法から多くを学んで創設されました。アメリカ連邦準備制度理事会のイエレン議長が、大統領の干渉を受けることなく、毅然として金融政策の采配をふるう姿は、中央銀行の独立性を象徴しています。なぜドイツ経済が強いのかを語るうえで、ドイツ連銀の厳正な運営を欠かすことはできません。ドイツ経済を強くした要因については、この後もいろいろ取り上げていくことにします。