「大きな国」だが、覇権を握るには「小さい国」
二〇一五年八月、英誌「The Economist」がなかなか薀蓄のある論評を掲載しました。大約は次の通りです。
「ドイツは欧州ではtoo big だが、ヘゲモニーをとるにはtoo small だ。ドイツ人自身もヨーロッパのリーダーになることを望んでいない。
一五年七月一三日、ドイツはギリシャを捻じ伏せた。弱小国を脅かす非情のヘゲモニー国という非難が巻き起こったが、これはアングロサクソン系のメディアとヨーロッパ左翼の反発だ。ユーロ圏諸国の当局の反応は異なる。
緊縮に反対のフランスは、ドイツとのタンデム(連帯)を崩さなかった。スペインとポルトガルは自身、緊縮に取り組んでいてドイツの側に立った。北と東の諸国はドイツ以上にゲルマン的な考えの持ち主だ。バルカンのスロバキアとスロベニアも予算の削減中で、ギリシャもそうすべしと言った。
ロシアの脅威にさらされているポーランドは、ドイツの強い姿勢を熱望している。イギリスもEUの改革でメルケル首相の手腕に期待している。ドイツなしには、欧州の抱えるいかなる問題も解決できないのである。
それならドイツのヘゲモニーは可能なのだろうか。EUの首脳会議や理事会は、議決方式などで、一つの国が支配することのないように設計されている。ECBの組織でも、強いドイツの中央銀行は、小国の中央銀行と同じ一票の投票権しかもっていない。」
EUは創設当初から全会一致の原則で運営されていましたが、加盟国が増えたため、人口やGDP(gross domestic product、国内総生産)など経済力を計算に入れた持ち票による特定多数決制を取り入れました。現在の加盟二八か国の持ち票合計は三五二票で、大国は独、仏、伊、英が各二九票。スペイン、ポーランドが各二七票。こんな具合に二八か国に持ち票が割り振られています。英紙「The Economist」誌がいうように、ひと回り大きくて経済力が強いドイツは、仏、伊、英と同じ二九の持ち票で我慢しています。
ECB総裁ポストにあえて人材を送り込まず
英誌「The Economist」誌はさらに歴史学者、Ludwig Dehio の言葉を引用して続けます。
ギリシャ危機で七〇〇〇億ユーロの救済基金が創設されましたが、この基金のユーロ経済圏諸国の分担比率は、ドイツ約二七%、フランス約二〇%、イタリア約一八%などで、強いドイツの発言力もその程度のものなのです。注10
大国の帝国化を抑えるこのようなシステムは、統合がすべての加盟国対等の原則のもとに進められていた時期に確立されたもので、今からこれを覆すわけにはいきません。
「歴史的にも一八七一年のドイツ統一後、ビスマルクのドイツはヨーロッパの力の均衡という観点から見るとtoo big だが、その意思をヨーロッパ全域に押し付けるには力の及ばぬtoo small な国である。しかし他の勢力から脅威と怖れられる力はある。東西統一後のドイツの姿はまさにこれだ。」
坂井榮八郎氏の『ドイツ史10講』注11にも同じような見方が紹介されています。セバスティアン・ハフナーという歴史評論家が、ビスマルクのドイツ帝国について、「ヨーロッパのどの国より大きく、しかし一国で覇権を求めるには小さ過ぎるという『ぎごちない大きさ』の国だった」と論評しているのです(『ドイツ帝国の興亡 ビスマルクからヒトラーへ』 山田義顕訳一九八九年 平凡社)。「ぎごちない大きさの国」とは面白い表現です。
なるほど、ドイツは経済大国であっても、軍事力では英仏のように核戦力をもつことは許されません。ちょっと頭をもたげようとすると、それナチスの再来だと叩かれます。ドイツ自身もきわめて慎重に対処しています。たとえばドイツの強力な影響下にあるECBの総裁ポストを、あえてとろうとしないのです。
そう考えるとEUのなかでのドイツのおおよそのイメージが浮かんできませんか。ヒトラーのナチスドイツは大暴れしたものの、政権掌握からわずか一二年で壊滅しました。最近のフォルクスワーゲンの大失策をみても、どこかナチスがたどった運命を連想させられます。フォルクスワーゲンの人気大衆車カブトムシは、そもそもはナチスの時代に、チェコが作った小型車のモデルを使った模倣商品だといわれています。
注10 『ユーロ危機とギリシャ反乱』 田中素香 岩波新書 二〇一六年 九二頁(要約)
注11 『ドイツ10史講』 坂井榮八郎 岩波新書 二〇一五年再販