前回は、欧州中央銀行の第3代総裁としてギリシャ危機にあたったマリオ・ドラギ氏の手腕を紹介しました。今回は、ギリシャ危機で持ち上がった「ユーロ批判」について、その妥当性を検証します。

ギリシャには「為替調整」よりも「構造改革」が必要

ユーロが導入された結果、ギリシャは通貨の切り下げができなくなって窮地に陥ったという、ユーロ批判もあちこちで聞かれます。一九七〇年に通貨統合への挑戦を始めた時から、ヨーロッパ共同体(European Community:EC)諸国は通貨を統合する前に、後発的な国の経済力を引き上げ、レベル合わせをする必要があるという考えをもっていました。

 

この作業は「convergence」(収斂)と呼ばれました。収斂をもっとも強く要求したのはドイツでした。経済のレベル合わせをするため、マルクを切り上げ、弱い通貨を切り下げる為替調整が再三行われました。七〇年の作業開始からユーロが導入されるまでの三〇年間、マルクの切り上げは数えきれないほど行われました。クローリング・ペッグという二、三%の微調整を繰り返す方法もとられました。ニクソン・ショックの直前にはマルクは単独で変動制に踏みきったこともありました。ドイツ連銀の元総裁、ティートマイヤーは、七二年から七八年の間だけで一七回、マルクを切り上げ・切り下げをしたと書いています。注2

 

それほど為替調整を繰り返しても、一向に収斂が進まなかったのは、為替調整という方法を使うと、一時的な経済格差の辻褄合わせに終わり、しばしば肝腎の構造改革が先送りされ、ごまかされてしまうからです。二〇一五年の危機の時も、ギリシャがユーロからいったん離脱し、為替調整をしたあと戻れば、という話もありましたが、大赤字の非効率な国有企業を民営化する構造改革を行わなければ、いずれまた同じ危機を繰り返すことになったでしょう。

 

ユーロ圏に残ってトロイカが求める大手術を受けるのが、少し長い目で見れば、ギリシャにとっての最善の方法だったし、ギリシャ国民も最終的に総選挙で、自らその道を選んだのです。ポピュリストという医師には、ギリシャ病を治療する能力はなかったのです。

EC加盟の当時から「時期尚早」との懸念も

ギリシャが一〇番目の加盟国としてECに入ったのは、一九八一年、スペインより先のことでした。ギリシャの加盟は早すぎるという議論はそのころからありましたが、ギリシャはヨーロッパ文明発祥の地であるということで、甘い判断が下されてしまったようです。

 

ギリシャは一八二九年に独立を勝ち取るまで、実に三〇〇年以上にわたってイスラムのオスマントルコの支配下にありました。その間にギリシャは、アリストテレスやソクラテスの古代ギリシャとは、すっかり違う国になってしまいました。独立以後、たびたび大借金をしては、デフォルトで踏み倒す常習者でした。

 

ギリシャが今回の借金を抱えるにいたった事情には、同情すべき点もあるのですが、大赤字を隠して加盟申請したり、他国からの借金で信じられない贅沢をしていたのですから、わがままが許されなかったのは当然と言うほかありません。

 

注2 『ユーロへの挑戦』 ハンス・ティートマイヤー著、財団法人国際通貨研究所、村瀬 哲司監訳 京都大学学術出版会 二〇〇七年 八二頁

ユーロは絶対に崩壊しない

ユーロは絶対に崩壊しない

伴野 文夫

幻冬舎ルメディアコンサルティング

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