帰国した夜、空の椅子を見て流した涙
出航前、美智子さんは不安で何度も予約を取り消そうと思いました。
しかし、船内では同年代の一人参加者と知り合い、食事や観光を一緒に楽しめるようになりました。寄港地で歴史的な街並みを歩き、海から昇る朝日を眺める日々は、想像以上に充実していました。
「夫が見たがっていた景色を、代わりに見ているような気持ちでした」
船旅の途中、良一さんの写真を持ってデッキへ出ることもありました。
約3ヵ月後、美智子さんは無事に帰国しました。子どもたちは港まで迎えに来てくれましたが、それぞれの仕事や家庭があるため、その日のうちに帰っていきました。
一人になった夜、美智子さんは旅の写真をテレビに映しました。食卓の向かい側には、良一さんがいつも座っていた椅子があります。
「あなたと一緒に見たかった」
そう口にした瞬間、船旅の間はこらえていた涙があふれました。
旅行は、人生で最も思い出深い時間になりました。それでも、感動を最も伝えたかった相手はもういませんでした。
「あの船旅を選んで本当によかった。でも、夫と行けなかったことだけは、いくら支払っても取り戻せません」
内閣府『令和7年版高齢社会白書』によると、直近1年間に何らかの社会活動へ参加した65歳以上の人のうち、生きがいを「十分感じている」または「多少感じている」と答えた割合は84.6%でした。何の活動にも参加していない人より23.0ポイント高く、高齢期には資産を保有するだけでなく、外出や交流、体験へつなげることも生活の充実に関係すると考えられます。
帰国後、美智子さんは船内で知り合った友人と連絡を取り合っています。次は国内の短いクルーズへ一緒に参加する予定です。
自宅の修繕費や介護費などを確保したうえで、元気なうちに使うための予算を決めたといいます。
老後資金は長い生活を支える大切な備えです。一方で、健康な時間にも期限があります。「いつか」と先延ばしにする前に、誰と何を経験したいのかを考えることも、後悔を減らすための老後設計といえるでしょう。
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