娘一家との同居「少しの間だけ」のはずが…
誠司さん(仮名・70歳)は、妻の和子さん(仮名・68歳)と二人で暮らしていました。夫婦の年金は月26万円ほど。
住宅ローンはすでに完済しており、派手な暮らしはしないものの、毎朝散歩をし、昼は簡単な食事を作り、月に一度は近場へ出かける。そんな静かな老後を送っていました。
生活が変わったのは、長女一家が実家に戻ってきた日からでした。長女の夫が転職に失敗し、家計が苦しくなったため、住んでいた賃貸を引き払うことになったのです。長女夫婦には小学生の子どもが2人いました。
「お父さん、落ち着くまででいいから、しばらく置いてもらえないかな」
電話口の長女の声は弱っていました。誠司さんは迷いましたが、断ることはできませんでした。
「家族なんだから、困ったときは助け合えばいい」
そう言って迎え入れたものの、同居生活は想像以上に大きな変化をもたらしました。
まず増えたのは生活費でした。食費、電気代、水道代、ガス代。孫たちは育ち盛りで、冷蔵庫の中身はすぐになくなります。夜遅くまで照明やエアコンがつき、洗濯機は毎日のように回ります。
「お米、もうないの?」
ある日、和子さんが台所でそう言いました。以前なら5キロの米でしばらく足りていたのに、今ではあっという間になくなります。長女夫婦も食費を出してはいましたが、負担の線引きは曖昧でした。
誠司さんが気になったのは、金銭面だけではありません。朝は孫たちの支度で家中が慌ただしく、夜は長女夫婦の会話やテレビの音が遅くまで続きます。夫婦二人の静かな時間はほとんどなくなりました。
「前は夕方になると、二人でお茶を飲んでいたのにね」
和子さんがぽつりと言いました。
内閣府『令和7年版高齢社会白書』によると、65歳以上の者のいる世帯は令和5年現在で2,695万1千世帯、全世帯の49.5%を占めています。かつては三世代世帯が多かったものの、現在は夫婦のみの世帯や単独世帯がそれぞれ約3割を占めるようになっています。高齢期に子世帯と同居する暮らしは、以前ほど一般的な形ではなくなっているのです。
誠司さんも、夫婦二人の暮らしに慣れていました。その生活に突然、娘一家4人が加わったことで、家はにぎやかになった一方、心の余白は少しずつ失われていきました。
「娘一家が帰ってきた日から、全てが変わったな…」
ある夜、孫たちが寝たあと、誠司さんは小さくつぶやきました。
