「もう家には戻れないの?」…安全と納得の間で揺れた娘
施設の対応に大きな不満があったわけではありません。職員も親切で、生活は整っていました。それでも文江さんにとって、そこは“自分の家”ではありませんでした。
長年使ってきた台所。庭の植木。近所の人とのあいさつ。仏壇の前で過ごす朝の時間。それらを急に失ったことが、文江さんには重くのしかかっていたのです。
厚生労働省『令和5年介護サービス施設・事業所調査』によると、介護老人福祉施設は8,548施設あり、介護施設は多くの高齢者の生活を支える重要な受け皿になっています。 一方で、入居は本人の生活環境を大きく変える決断でもあります。
洋子さんは、何度も自分に問いかけました。
「本当にこれでよかったのか」
もちろん、在宅生活に戻るには課題があります。転倒対策、見守り、配食、訪問介護、火の管理。娘一人で支えるには限界がありました。
その後、洋子さんは施設相談員やケアマネジャーと話し合い、月に数回は母を自宅へ連れて帰る時間を作ることにしました。短い滞在でも、文江さんは仏壇に手を合わせ、庭を眺め、少し表情を和らげるといいます。
「家に戻すことだけが正解ではない。でも、家を完全に失わせる必要もなかったのかもしれません」
老人ホームへの入居は、家族の安心につながる大切な選択です。ただし、安全な場所に移ることと、本人が納得して暮らせることは同じではありません。
「あの日、もっと母の気持ちを聞けばよかった」
洋子さんの後悔は、施設に入れたことそのものではありませんでした。母にとっての“家”が何を意味していたのかを、入居後にようやく知ったことだったのです。
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