「援助はいらないよ」そう言い続けた父
「最後まで、自分でなんとかしようとしていたんだと思います」
そう語るのは、48歳の会社員・佐藤美香さん(仮名)。父・昭一さん(享年81)は、東京都内の団地で長年ひとり暮らしを続けてきました。年金は月に約13万円。もともと倹約家だった昭一さんは、「自分のことは自分でなんとかするから」と言って、美香さんに生活費の援助を求めることは一切ありませんでした。
「電気代やガス代の話になると、“最近また値上がりしたな”とか軽くこぼすことはありましたが、それ以上は深く話そうとしませんでした。だから私も、毎月お米や日用品を送るくらいしかできなかったんです」
そんな生活が十年以上続いたある日、昭一さんが急な体調悪化で入院。そのまま意識が戻ることなく、亡くなりました。
四十九日が終わったある晩、美香さんは父の遺品整理を始めました。引き出しの中には整然とファイルされた通帳が複数冊。几帳面な父らしいと笑いながら1冊目をめくったとき、目に飛び込んできたのは、ある“印”でした。
「残高が5万円を切ったあたりのページに、赤いマーカーで線が引かれていたんです。しかも何カ月も同じような出金パターンが続いていて、通帳には『公共料金』『医療費』という記載がズラリと並んでいました」
生活保護を受けるような状態ではなかったものの、年金だけでは医療費や物価高の影響を吸収しきれず、預貯金が徐々に減っていたことが明らかになりました。
「父なりに、“このあたりが限界”という目印だったのかもしれません。見つけたとき、胸が締めつけられました。“何でもっと頼ってくれなかったの?”って」
美香さんは父に対して援助を申し出たこともありましたが、昭一さんは頑なにそれを断り続けたといいます。
「『美香は自分の家庭を優先しなさい』って、いつも言っていました。でも、本当に苦しくなる前に、少しでも言ってくれれば…って思ってしまうんです」
父の通帳には、その後も収支を記録するように細かくメモが書き込まれており、公共料金の明細が貼り付けられたページもありました。「苦しかったんだと思う。でも、迷惑をかけたくなくて、誰にも言えなかったんでしょうね」と、美香さんは通帳を閉じながら語ります。
