70年代、うなぎ上りの自動車業界に転職
証券マンとして大小さまざまな法人の経営者との関係が広がるなか、幸いなことに私は「うちの会社に来ないか」という誘いをいろいろな人から受けることになり、そのなかの一社が自動車部品関係の会社だったので転職することにしました。1970年のことです。
当時日本の自動車産業は一大躍進期を迎えていて、1969年に551万台ほどだった乗用車の保有台数は1年後には727万台、翌年には910万台、さらに翌年は1091万台とたいへんな勢いで拡大していました(自動車検査登録情報協会資料)。その業界に入りたいと思っていたのです。
自動車のランプを扱うメーカーに入って営業担当となり、顧客である自動車メーカーと自社の工場との間に入って納品を管理する仕事に就きました。当時急成長していた自動車産業でしたが、周辺の部品供給工場も含めて不良品が多く、まちでは「新車は買わないほうがいい」という声すら上がっていました。
建設的に話し合える関係性を築くためには客観性が必要
私が入った照明部品メーカーもご多分に漏れず不良品が多く、私は納入先の自動車メーカーに呼ばれては「どうなっているんだ」と叱られ、自社の照明部品の工場に行けば「こっちだって一生懸命やっている。本社は工場の状況を分かっているのか」とうるさがられ、私は板挟みになりながら、不良品問題の解決に当たることになりました。
それも私にとっては大きな挑戦でした。顧客の自動車メーカーと自社部品工場の作業員のそれぞれにとって、自分が価値を認められる存在にならなければ、どちらにも話を聞いてもらえません。ここでも挑戦の成功のために必要だったのは、新たな関係づくりであり、相手と自分がどのように向かい合っているのか、それを見極めながら、関係の改善・前進を図ることでした。
その後、結婚を機に義父が創業社長を務めていた会社に入ったときも、なんの実績もない私が意見を通すためには、社長はもちろん、先輩従業員に価値を認められる人間になっていなければなりません。求められたのはやはり関係の見極めであり、自分のおかれた位置や自分の持っている力の見極めでした。
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