「意識」を意識することが時間の密度を高める
お金持ちは、医療によって200歳まで生きられるようになるかもしれない。
だが、時間の密度はどうだろうか。密度が高いことは直接的に幸福につながるとは言えないが、相関は大きい。幸福の要諦は「一体性」である。期待と実態の一体性、人とつながり笑い合い、悲しみ合う一体化の中にある。それは密度の濃い時間に近いとも言える。
布団屋の謳い文句はいつの時代も、「人生の3分の1は寝ているのだから、寝具には金をかけろ」だ。だが、この文言がうさん臭く思えるのはなぜか。意識を制御できない睡眠の時間がどれほど長かろうが、それほどの価値はないことを我々は直観しているからだ。
では、どうすれば時間をねじ曲げ広げ、縦横無尽に人生を味わい尽くせるのだろうか。
鍵を握るのは「意識」である。我々は「意識」を意識しなければならない。
「意識」という代物は高速で動き回る、まるで制御の利かない暴れ馬のような存在である。その意識を「留める」のが悟りであり、リトリートである。もしくは意識の焦点を他人に当てて相手の心を敏感に感じ取ること、意識をはるか上空に揚げて世界を俯瞰し、概念やイメージとして捉える思考力、意識を環境に向けて風や波や自然の営みを感じ取ること、その微細で大胆な意識の使い方が時間の密度を高めることにつながる。
瞬間瞬間の悲喜交々のあらゆる体験が、硬いレンガのように重なり合って重層な人生を作り上げる。 時間はお金で作り出すこともできる。だが、活発な意識は、それ自体をお金で作り出すことはできない。
「誰と会うか」の選択が幸福に直結する
この時代、人は人を選ぶ。会う人、過ごす人、職場(の人)、すべてをわがままに選択するようになる。なぜならそれが、時間の密度という幸福に直結するからだ。
嫌な顧客に営業することもやめる。たとえ大金をもらえても、人々はそれよりも豊かな時間を選ぶだろう。掘建て小屋の中で自分の好きな物と好きな人に囲まれる生活を選ぶ。教室で机を並べるようなバカバカしいことはなくなる。興味(意識)の方向性も知覚の繊細さも、個々人でまったく異なる。その平均の時間を過ごすような無駄はしない。残念ながら離婚も増えるだろう。だが、仮に婚姻制度が破綻しても、賢い人は一人のパートナーとの長期的関係が指数関数的に時間密度(幸福度)を引き上げると知っているから、丁寧に関係を育ててゆくだろう。
意識は人(や親)から受け取ったバトンであり、次へ渡すべきギフトだ。
時間が歪むなら、新旧の何を大事にするかということも変わる。一般的にアジアでは、目に見えない五感以上の知覚を大事にし、欧米ではきちんと言語化することが良いことと思われているが、欧米の欧(ヨーロッパ)はより古いものを大切にし、米(アメリカ)はより新しいものを評価する傾向がある。
しかし時間が歪むなら、これらの文化的傾向はどう変容してゆくだろうか。その過程を想像するのはとても面白い。いずれにせよ、時間の時代は、目に見えにくいものに価値が移るからこそ興味深いものになる。そこには資本が介入しにくいからなおさらだ。
話は尽きないがまとめよう。
時間の密度は幸福へ直結する。そして幸福の本質は主観にある。したがって人々はKPI
(Key Performance Indicatorの略。「重要業績評価指標」とされる、いわば中間目標のこと)を独自に設定し、それに基づいて生きる。それが短い人生なのか、長生きなのかは関係ない。
令和の時代、時間はもはや人々にとって一定でも平等でもない。それは個々人にとっての
「密度」という点において、まったく異なるものとなるだろう。
山口 揚平
ブルー・マーリン・パートナーズ株式会社
代表取締役