「収入は階級によって決まる」理不尽な現実
職業の社会的価値と年収は乖離している
前項では金融経済と実体経済の乖離について述べたが、よりミクロな職業レベルにも、理不尽だと思える反直観的な事実がある。
上の図1は、世界中で話題となった『ブルシット・ジョブ』(岩波書店)でも取り上げられた、社会的価値と年収の乖離を示したチャートだ。
社会的価値には2つある。一つは、GDP/税貢献などの経済的価値、もう一つは社会を支えているもの(教育、健康、子ども、可能性)を創造している。
この社会的価値の算出方法だが、病院の清掃員の社会的価値は院内感染の防止等に、保育士は、保育園に子を預ける親が就労で収入を得ることによる価値及び雇用創出による価値の合算によって算出される。
保育士の場合、1人あたり平均5人の子を担当し、1名の保育により親1人分の平均年収を稼げると仮定している。兄弟がいる場合の影響や保育設備による価値貢献の影響を差し引くと、保育士1人が生み出す価値は日本円で年間約1,450万円相当とされ、雇用創造による価値貢献として彼らの受け取る平均給与230万円相当を計算に加えると総価値は1,700万円相当になる。
つまり賃金1円に対し、保育士は7.2円以上の価値を生み出していると考えられる。
※金額は2024年1月12日現在の為替1ポンド=185円で計算。
収入はトラック(階級・自分が走っているレーン)によって決まっている。社会への価値創出では決まらない。金銭収入と社会価値が連動しないという前提は、やがて貨幣経済の根幹を揺るがすことになる。
図1の横軸が年収を、縦軸が社会的価値を表す。たとえば、保育士は1円稼ぐごとに、本当はその7倍の価値を社会に創出している。一目でわかるように、年収の高さは社会的価値に比例していない。
チャートで示される職業の幅がやや偏ってはいるが、注目したいのは、「エッセンシャルワーカー」と呼ばれる職種に従事している人のほとんどが、高い社会的価値に見合った報酬を得られていないことだ。
一方、グラフの右側に位置する職業に就いている人は高い報酬を得ているものの、彼らが働けば働くほど、社会的価値は毀損されてしまっている。
年収の高い仕事が本当に社会的価値を生み出しているのか、むしろ搾取しているのではないかと批判的に考える理由がここにある。