中には親の年金をあてにする子どもまで・・・
最近は、30代、40代になっても結婚せず、また「独立」もせずに親御さんの家に同居している子どもも増えています。親御さんのほうから、子どもを引きとめて放さないケースもあるようですが、親御さんが何も言わないことをいいことに、いつまでも独り立ちしない、できないといったケースも少なくありません。
居心地のいい親の家にぬくぬくと暮らしているうち、働かなくても食べていけるからと、定職にもつかず、挙句の果てには親の年金をあてにするようになる人もいます。
みなさんの子どもさんが必ずしもそうなるとは思いませんが、今は、独身パラサイトでもきちんと働いて、月々のお給料から一定額ないし全額のお金を家に入れてくれていても、父親の財産を相続し、親の家に住み続けていれば、一生働かなくても食べていけると錯覚かくしてしまうかもしれません。
仮に相続額が莫大な額で、実際本当に働かなくても一生食べていけるとしても、それは、子どもさんにとって、幸福な人生といえるでしょうか。
子どもたちにぜいたくなものは与えなかった西郷隆盛
「児孫の為に美田を買わず」
──この言葉は、西郷隆盛が詠んだ有名な詩の一節です。
「子孫のために美田を遺さず」という故事からきている言葉でもあるのですが、西郷さんは、かつての同志たちが、明治維新後に高官になり財をなしてからというもの、以前の高い志はどこへやら、すっかり堕落してしまった姿に警鐘を鳴らすためにこの詩を詠んだといわれています。
その西郷さん自身は、困った人がいれば惜しみなく自分のものを与えながら、自分の子どもたちには一切、ぜいたくなものは与えなかったそうです。
一方で──。
この西郷さんには若い頃、幕府から追われて奄美大島に潜んでいたときに、生活を共にしていた「島妻」がいました。3年の歳月を経て、西郷さんは幕府からの許しを得て本土に戻ることになりましたが、幕府の決まりで、島でめとった妻を本土へ連れていくことはできません。
そこで西郷さんは、島妻との別れに際して、「今生の別れになるかもしれないから」と、島の田畑を1反ずつ買い、島で建てた家と共に、島妻の名義にして与えたといいます。
子孫には美田を遺さず。されど妻には、美田と家を残していった、西郷さん。
もし、みなさんのご主人が西郷さんだったら……きっと同じことをされるのではないでしょうか。少なくとも私には、そう思えます。