被相続人が遺言書で相続分を決めておくのが無難だが…
家・宅地のように切り分けられないものは、妻ひとりで相続することで、子どもたちきょうだい間での無用な争いを避けられるとお話ししてきましたが、それは、分けられる財産でも同じことです。
「きょうだい仲よく均等に分ける」のではかえって不公平を生むという場合には、相続人が寄与分・特別受益を請求することができることは、お話しした通りです。
が、実際どこからどこまでが寄与分や特別受益に当たるかの判断がタダでさえ難しいうえに、相続人同士の利害関係がからんで、「そっちがそれで寄与分があるというなら、こっちだって○○のことで寄与分があるんだから」「僕の□□が特別受益だっていうなら、兄さんの△△だって特別受益じゃないか」と、寄与分合戦、特別受益合戦がくり広げられることになってしまうのです。
ですから、寄与分、特別受益を考慮した相続をする場合には、あらかじめ被相続人が遺言書でそれぞれの根拠を明らかにして、相続分を決めておくのが無難といえるのですが……、それでも争いの起きるところには、何をやっても争いが起きてしまうもの。
遺言書があったらあったで、「お父さんはこう言っているけれど、私が○○したことはすっかり忘れちゃったみたいね。ひどいわ」「僕に対する△△が特別受益だって言うけど、兄さんにだって同じようなことしてたの、僕が知らないとでも思っているの?」等々……。
信念と自信を持って「MAXの寄与分」を主張する
もし仮に、そのときは表立った争いにはならなかったとしても、その後子どもたちの間にはわだかまりやしこりが残り、何かの折に噴出してしまうこともあります。
別にどの子どもも、相続で寄与分をプラスしてもらうために親に何かをしてきたわけではありません。それに、特別受益といっても、元はといえばすべて、親心からのものです。
その親心、親の愛情は、特別な誰かにだけではなく、子どもたちみんなに、平等に、注がれてきたはずです。それなのに、そのことで子どもたちがこんな醜い争いをするくらいなら、「誰よりもお母さんには、お父さんに対してMAXの寄与分があるのよ」
──と、話をおさめてしまうのがベストなのです。
判例では「妻の貢献は夫婦として当たり前」といいますが、これはあくまで裁判に持ち込めば、の見方です。ここは信念と自信をもって、子どもたちに「MAXの寄与分」を主張するべきではないでしょうか。