母の死去…遺産は「好立地の店舗併用住宅」と「現金500万円」
今回の相談者は、40代の会社員の井上さんです。70代の母親が亡くなり、遺産分割について困っているとのことで、筆者の事務所を訪れました。
井上さんの母親の相続財産は、現預金500万円と、都内の人気エリアの駅近にある店舗併用住宅です。20坪と狭小ですが、立地がよく、不動産の評価は6,000万円と高額です。
「両親はもともとこの場所で鮮魚店を営んでいました。10年前、父が60代で亡くなってからは店を閉め、母親は2階でひとり暮らしていました」
田中さんは長女で、4歳下に弟がいます。田中さんも弟も、20代で結婚して親元を離れましたが、弟は配偶者が中小企業経営者のひとり娘だったことから、相手の両親と同居するかたちに。結婚して数年後に勤め先を退職し、いまは舅の会社で働いています。
田中さんは20代で2人の子どもに恵まれますが、離婚。専業主婦から契約社員となり、実家から電車で15分ほどの賃貸アパートに暮らしています。
「父が入院したときも、弟は仕事が忙しいといってお見舞いにも来ませんでした。母が弱ったときも同じです」
父の遺産がほしかったが…「母さんの生活費、確保しなきゃね?」
井上さんは長男である弟に代わり、母親の面倒を見てきました。母親はなにかあるたび、泣くような声で電話をかけてきたといいます。
「病院の付き添いから、日常生活のあれこれまで世話を焼いてきました」
母親は、井上さんを呼び出すたびに涙を浮かべ「迷惑かけてごめんね、本当にごめんね」と謝りました。そして、それだけでなく、必ず次のように言葉を付け加えていました。
「母さん、お金はないけれど、この家は洋子(井上さん)にあげる」
「大丈夫。ちゃんと遺言書を書いておく」
父親が亡くなったとき、すべての財産は母親が相続しました。
「父親はのんびりした人でしたが、意外と堅実で、国民年金基金にも加入していましたし、母親を受取人とした生命保険にも入っていました。あとは、800万円くらい残高がある通帳が2つ出てきました」
「正直、父が亡くなったときは生活が厳しくて、いくらかでも相続したかったのですが、その話をいい出す前に、〈お母さんの生活費を確保しなきゃね?〉と、母を目の前に弟からいわれてしまい…」
言葉を飲み込む井上さんでしたが、母親からは、ひとりで子育てする大変さをねぎらわれ、なんとか心が落ち着いたといいます。
「ことあるごとに〈弟は冷たい。お嫁さんに取られてよその子になってしまった。頼りになるのはお姉ちゃんだけ〉といわれ、私も母の気持ちに応えようと思いました」
その後、母親はがんを患い、数回の入退院を繰り返して亡くなりました。
井上さんは、母親が書いたという遺言書を探し、実家のあちこちを探し回りましたが、どこを探しても見当たりませんでした。
「荷物の多くは、両親の古い衣類です。これらを1枚1枚ひっくり返してゴミ袋に詰めて処分し、戸棚から冷蔵庫までくまなく調べましたが、どこにも遺言書はありませんでした」
母親の納骨も待たずに自宅を片付ける井上さんに、弟は「そんなに片づけを急がなくても…」といぶかしがっていましたが、井上さんは遺言書を探しているとはいえず、「両親の位牌を入れる仏壇を、整理整頓したところに置きたい」と説明すると、弟はあきれたようにいいました。
「そんな心配しなくていいよ。だってもうじきここは処分するんだから…」
「母さんは〈ふたりで半分こ。いくら跡継ぎだからって、ひとり占めは許さないからな〉って、散々俺にいってたよ。いま、知り合いの不動産業者を当たっている。ちゃんと半分にするよ。よかったな」
「私1人であの家を相続することは、できないのでしょうか?」
井上さんが筆者のもとに訪れたのは、弟のこの発言があったタイミングでした。
「私1人であの家を相続することは、できないのでしょうか?」
どこを探しても遺言書がないとなれば、遺産は売却して二等分することになります。しかし、井上さんの実家は立地がよく、もし建て替えるなら、収益性の高い5階程度のビルの建設ができそうです。ですが、そのためには2億円程度の建設費が必要です。
もし井上さん1人が相続する場合、弟に3,000万円程度の代償金を支払う必要があり、ビルの建設費と合わせると、2億円を大きく上回ることは必至です。現状の井上さんにはとても用意できる金額ではありません。代償金を分割払いにするやり方もありますが、弟を納得させるのは、簡単ではないでしょう。
相談に乗っていた提携先の税理士は、相続のために無理をするより、売却して分割したほうが負担がなく、後々の問題も起こりにくいとアドバイスしました。
井上さんはがっくりと肩を落としました。
「母親に、ちゃんと遺言書のことを頼めばよかったです。でも、あのときはとても口に出してはいえなかったですが…」
井上さんはそういって頭を下げ、事務所を後にされました。
親が「遺言書を残す」といっておきながら、実際にはなにも用意していなかった…というケースは珍しくありません。
井上さんの場合は、父親が亡くなったタイミングや、母親の世話をしている状況で、率直に自分の気持ちを打ち明け、家族間での話し合いを持てば、少しは展開が違ったものになったかもしれません。
納得のいく相続にするためには、家族間の話し合いが非常に重要な意味を持つのです。
※登場人物は仮名です。プライバシーに配慮し、実際の相談内容と変えている部分があります。
曽根 惠子
株式会社夢相続代表取締役
公認不動産コンサルティングマスター
相続対策専門士
◆相続対策専門士とは?◆
公益財団法人 不動産流通推進センター(旧 不動産流通近代化センター、retpc.jp) 認定資格。国土交通大臣の登録を受け、不動産コンサルティングを円滑に行うために必要な知識及び技能に関する試験に合格し、宅建取引士・不動産鑑定士・一級建築士の資格を有する者が「公認 不動産コンサルティングマスター」と認定され、そのなかから相続に関する専門コースを修了したものが「相続対策専門士」として認定されます。相続対策専門士は、顧客のニーズを把握し、ワンストップで解決に導くための提案を行います。なお、資格は1年ごとの更新制で、業務を通じて更新要件を満たす必要があります。
「相続対策専門士」は問題解決の窓口となり、弁護士、税理士の業務につなげていく役割であり、業法に抵触する職務を担当することはありません。
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