ついに、日露戦争が開戦
多額の戦費に日本の国力が限界に達し、ポーツマス条約の締結に至る
〔第1次桂内閣〕のもとで日露戦争(1904~05)が始まると、日本は満州の旅順や奉天で勝利し、日本海海戦では圧勝しました(連合艦隊司令長官東郷平八郎の活躍は有名ですね)。
しかし、内債・外債(政府の国内外からの借金)や増税で調達した戦費は多額で、国力の限界に達しました。セオドア = ローズヴェルト米大統領が講和を仲介し、日本全権の小村寿太郎とウィッテとの間でポーツマス条約(1905)が結ばれました。
ロシアには勝利したものの、賠償金が得られず国民の不満が高まる事態に
まず、日本が韓国において政治・軍事・経済面での利益を得ることを、ロシアは承認しました。ロシアが韓国から退き、日本が韓国進出を強化していくことになります。
そして、ロシアが清から得ていた権益のうち、旅順・大連の租借権と、東清鉄道南部支線の長春・旅順間の経営権が、ロシアから日本へ譲られました。今後の日本は、ポーツマス条約で獲得した満州権益を維持・拡大していく道を一貫して歩むことになります。
さらに、ロシアは樺太の北緯50度以南の部分を日本に割譲し、日本はこれを植民地としました。しかし、賠償金なしという内容に国民の不満が高まり、講和反対の国民大会が暴動化して日比谷焼打ち事件(1905)が発生しました。
このとき、政府は戒厳令を発して軍隊にも首都の治安維持を行わせました。
山中 裕典
河合塾/東進ハイスクール・東進衛星予備校
講師