冷戦の拡大と占領政策の転換
第二次世界大戦が終わった直後、国際連盟に代わる新しい国際平和維持機関として国際連合が設立され(1945.10)、ニューヨークに本部が置かれましたが、戦勝国による協調体制がその本質でした(“United Nations”は「連合国」という意味)。そして、安全保障理事会を構成する米・英・仏・ソ・中(国民政府)の常任理事国は拒否権を持ち、経済制裁や軍事行動もできる強力な権限で世界大戦の再発を防ぎ、国際紛争を解決することになりました。
一方、大戦後の世界では、アメリカ中心の「西側」(資本主義・自由主義陣営、西ヨーロッパなど)と、ソ連中心の「東側」(社会主義陣営、東ヨーロッパなど)の二大陣営が形成され、政治・経済・イデオロギー(理念)の面で争うようになりました。この情勢は核兵器の保有を伴い、世界大戦は起きなくても軍事的な緊張が続く、という意味で「冷たい戦争(冷戦)」と呼ばれました。
戦後の日本領土
ソ連はヤルタ協定に基づき対日参戦したのち、満州・朝鮮に侵入し、南樺太・千島列島を占領しました。満州国は崩壊し、満州はソ連軍が占領して、のち中国へ返還されました。朝鮮は、カイロ宣言では日本から独立すると定められていましたが、北部がソ連軍に占領され、南部はアメリカ軍に占領されました。一方、ポツダム宣言を受諾した日本は、台湾を中国へ返還しました。
東アジアに波及していった冷戦
南北に分割占領された朝鮮は、冷戦が激化するなかで統一されないまま、朝鮮南部に大韓民国(韓国、李承晩大統領)が建国され(1948)、朝鮮北部に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮、金日成首相)が建国されました(1948)。冷戦の構造は、朝鮮の分断独立という形で波及したのです。
日中戦争に勝利した中国では、国民党と共産党の内戦が再燃しましたが、農村に支持を広げた共産党が内戦に勝利し、北京で中華人民共和国(毛沢東主席)の建国を宣言しました(1949)。一方、敗北した国民党は台湾へ逃れ、中華民国政府(蔣介石総統)を存続させました。中華人民共和国は「東側」となり多数の国に承認されたのに対し、アメリカは中華民国政府を中国の正式代表としたため、中国政府の地位にも冷戦の構造が持ち込まれました。
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