学校も職場も地獄…“独りぼっちの時間”が必要だった江戸川乱歩
<略歴>1894年~1965年。三重県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、職を転々とするが『二銭銅貨』でデビューして作家に。名探偵・明智小五郎が活躍する「少年探偵団」シリーズで人気を得た。日本推理作家協会の設立者で初代理事長。横溝正史、山田風太郎、筒井康隆など新人の育成にも貢献した。
逃げたいときは、逃げてもいいんだよ――。
そんなフレーズをよく耳にする。優しい言葉ではあるが、江戸川乱歩ならば、こうぼやきたくなることだろう。「むしろ、逃げたいときしかないんだけど……」
物心ついた頃から寡黙だった乱歩は、小学校生活になじむことができなかった。休み時間になっても、グラウンドを駆け回るクラスメイトを眺めながら、校庭の隅っこの桜の木の下でポツンとひとり立っているだけ。そのうえ極度な運動嫌いだったことが、乱歩をより消極的にさせた。
「スポーツはむろんやらず、鉄棒もだめ、木馬も飛べないという弱虫で、体操の時間が一番きらい。なかでも器械体操と駆け足にはおぞけをふるった」と、のちに乱歩は回想している。
小学校高学年のときにイジメっ子が現れると、乱歩は格好のターゲットに。中学でもイジメに遭い、乱歩は「学校は地獄だった」と言っている。仮病を使いながら、1年の半分は欠席して、なんとか学校生活を切り抜けている。
そんな乱歩は大学卒業後、同郷の川崎克代議士の紹介で、大阪の貿易商社に住み込みで働きはじめた。大嫌いな学校生活からは抜け出したものの、社会人生活もまた、乱歩にとっては過酷だった。
特に住み込みというのがよくなかった。寝ても覚めても職場の人と顔を合わせなければならないことが、乱歩には我慢できなかったのだ。
「私には少年時代から思索癖というようなものがあって、独りぼっちでボンヤリと考えている時間が必要だった。食事や眠りと同じように必要だった」
乱歩はその職場からわずか1年で脱走。伊豆半島を放浪している。