生きてゆくから、叱らないでください…文豪・太宰治の“まるでコントのような”逃げエピソード【偉人研究家が解説】

生きてゆくから、叱らないでください…文豪・太宰治の“まるでコントのような”逃げエピソード【偉人研究家が解説】
(※写真はイメージです/PIXTA)

『走れメロス』『人間失格』など、数々の名作を生みだした文豪・太宰治。「生れて、すみません。」などの名フレーズも多く、5度の自殺未遂を繰り返したことでも知られています。『逃げまくった文豪たち 嫌なことがあったら逃げたらいいよ』(実務教育出版)の著者で偉人研究家の真山知幸氏が、ストレスフルな現代人にこそ知ってほしい太宰治の“逃げエピソード”を紹介します。

“喧嘩が始まったとみると逃げ出して”…逃げ足の速かった太宰

出所:真山知幸氏著『逃げまくった文豪たち嫌なことがあったら逃げたらいいよ』(実務教育出版)
太宰治 出所:真山知幸氏著『逃げまくった文豪たち嫌なことがあったら逃げたらいいよ』(実務教育出版)

 

<略歴>1909年~1948年。青森県生まれ。大地主の息子として裕福な青少年時代を過ごす。東京帝国大学仏文科に入学し、井伏鱒二に師事。『逆行』で芥川賞候補となり、『富嶽百景』『斜陽』などで流行作家となる。39年の生涯で5回の自殺未遂を繰り返し、玉川上水に入水して死亡。他の代表作に『人間失格』など。

 

「若いとき喧嘩が始まったとみると逃げ出して、その逃げ足の速さに、『隼の銀』といわれたものだ」

 

妻にそう話したのは、太宰治である。なぜか妙に自慢げだが、確かに逃げ足は速かったようだ。文学青年に絡まれたときのことも、こう振り返っている。

 

「月代[さかやき]を剃りあげたみたいに頭の中央のところがてらてらしていて、なにかというと、ぼくにからんでくるんだ。その癖、文学なんてなにもわかっていないのだ。ぼくは、よっぽど、その頭をぶん殴ってやろうかと思ったが、それもできないので逃げだしましたよ」

 

中原中也が家まで追いかけてきたが“蒲団を頭からかぶって”逃げ切る

詩人の中原中也に酔っぱらってからまれたときも、そうだった。初対面こそ、散々に酔ったあげく口論になって中也と大乱闘になったが、それに懲りたのか、2回目のときは、中也が酔うやいなや、早々と退散。

 

逃がすものかと中也は家まで追いかけて来たが(それもすごいな)、蒲団を頭からかぶってやりすごした。太宰にとっては、逃げの一手が、困難を切り抜ける戦法だったのだ。

師匠の井伏鱒二も置き去りに、一目散に逃げた

逃げ足が速かった太宰は、あろうことか、師匠の井伏鱒二すらも置いて逃げたことがあった。大衆酒場で井伏とふたりで飲んでいるときのこと。角刈りの男が太宰に話しかけてきたが、酔っ払っていたため、やがて不穏な雰囲気に……。

 

激昂した男は「ここで待ってろ!」と店を出て行くが、もちろん、太宰はすぐさま店を出ようとする。しかし、井伏は「これだけは飲んでいこう」とのんびりしている。あきれた太宰は井伏の袖を引っ張り、勘定をすばやく済ませて店の外へ。

 

すると、まもなくして男が追いかけてきた。「井伏さん、駆け出そう!」太宰がそう呼びかけても、井伏はなんだかゆっくり歩いている。たまらず、太宰は師を置き去りにして、一目散に逃げ出したという。

 

結局、男は歩いている井伏のことはただの通行人だと思ったらしく、横を通り過ぎて、太宰だけを追い続けたというから、まるでコントだ。

 

必死に逃げた太宰は、暗い横路地の陰に逃げ込んで事なきを得ている。走り損の太宰だった。

 

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次ページ太宰治が「本当に逃げたかったもの」とは?

※本連載は、真山知幸氏の著書『逃げまくった文豪たち 嫌なことがあったら逃げたらいいよ』(実務教育出版)より一部を抜粋・再編集したものです。

逃げまくった文豪たち 嫌なことがあったら逃げたらいいよ

逃げまくった文豪たち 嫌なことがあったら逃げたらいいよ

真山 知幸

実務教育出版

あの偉大な文豪も、逃げまくっていた!? 知れば知るほど勇気をもらえる文豪の逃げエピソード集! 誰もが知る文豪たちも、実は仕事や勉強、家族や借金取りから逃げた「逃げエピソード」を持っている。厳しすぎる学校から逃亡…

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