5―まとめ
賃上げのためには生産性の向上が不可欠とされるが、日本の労働生産性の上昇率は諸外国と比べて必ずしも低いわけではない。それにもかかわらず賃金が長期にわたって低迷を続けているのは、労働生産性の上昇が主として労働投入量の削減によってもたらされており、付加価値(GDP)の拡大を伴ったものとなっていないためである。付加価値の拡大がなければ、時間当たり賃金は増えても一人当たり賃金は増えないため、「賃金上昇」→「消費の拡大」→「企業収益の改善」→「賃金の上昇」という前向きの循環が生まれない。
実質GDP成長率の低迷が長期化しているのは、家計消費、設備投資がほとんど伸びなくなっているためである。設備投資停滞の主因が投資性向の低下であるのに対し、家計消費停滞の主因は消費の原資となる可処分所得が伸びていないことにある。
家計消費の本格回復のためには、可処分所得の増加が不可欠である。家計の所得を増やすためのルートは雇用者報酬(雇用、賃金)のほかに、財産所得(利子、配当)の増加、所得税減税、社会給付の増加、社会負担の軽減など複数ある。
このうち、黒田日銀総裁のもとで続けられてきた異次元緩和は今後修正される可能性はあるものの、短期間のうちに金利が大幅に上昇する可能性は低いことから、利子所得のルートを通じた家計所得の改善は当面期待できない。企業が配当の支払いを増やすことも企業から家計への所得移転を進める有効な手段だ。ただし、日本の家計は株式の保有比率が低いため、企業が配当の支払いを増やしてもそれを受け取るのも企業となり、企業部門内に資金が滞留してしまう面がある。
また、国の厳しい財政状況を踏まえれば、所得減税、社会保険料の負担軽減、マクロ経済スライドの停止による年金増額などは困難と考えられる。
現時点で最も実現可能性が高く効果も大きいのは、賃上げの本格化による雇用者報酬の拡大である。ニッセイ基礎研究所では、2023年の春闘賃上げ率は前年から0.70ポイント改善の2.90%と、1997年以来26年ぶりの高水準になると予想している。ただし、定期昇給を除いたベースアップでみれば1%強で、引き続き消費者物価上昇率※8を下回ることが見込まれる。中長期的にはベースアップが物価上昇率を上回ることを目指すべきであり、2023年の賃上げは本来あるべき姿の実現に向けた第一歩と位置づけることができる。物価安定の目標が2%であることを前提とすれば、賃上げ率はベースアップで2%超、定期昇給込みで4%程度となることがひとつの目安となるだろう。
資源高や円安に伴う輸入物価の急上昇を起点とした現在のコストプッシュ型のインフレは、企業収益の圧迫、家計の実質購買力の低下につながるため、決して望ましいものとは言えない。しかし、企業の値上げに対する抵抗感を和らげるとともに、賃上げの重要性を再認識させるきっかけとなったことも事実である。賃上げによって消費が拡大すれば、企業の売上や収益が増加し、さらなる賃上げにつながる、という好循環が生まれる可能性が高まる。今回の予期せぬ物価上昇を、これまでの縮小均衡を脱却し、拡大路線へ転換する絶好の機会と捉えたい。
※8:ニッセイ基礎研究所の消費者物価上昇率(生鮮食品を除く総合)の見通しは2022年度が3.0%、2023年度が2.3%と予想している。
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