アメリカだけではない、西側諸国でも見られる現象
2008年から2009年にかけての金融危機で労働者も大打撃を被ったとき、彼らは組合に指針を示してもらおうとか代わりに行動してもらおうなどとは考えなかった。経済保護主義や反移民政策を唱える大衆迎合主義(ポピュリズム)の政治指導者に頼ったのだった。
この動きは、産業界や政府、学会の多くのエリートにとって、また1990年代に台頭したグローバリズムが世界秩序を永久によい方向に変えたと考えていた多くのエリートにとっても驚きの出来事だった。
専門家が事後調査をおこない、考察を論文にまとめ、ポピュリストが熱狂的な支持を集める地域へ詣でてみたところ、彼らの目に映ったのは、権利を奪われ、組合を含む昨今の制度に激怒した人たちの大きなコミュニティだった。
グローバル化がロンドン、ニューヨーク、ミラノ、パリ、サンフランシスコなどの大都市にもたらした繁栄は、イギリスのミッドランド、アメリカのラストベルト、イタリアの南部、フランスの都市周辺など貧しい地域には広がっていない。
製造業の雇用がそれまでの産業の中心だった地域から離れる動きと、M&Aの増加や節税を求める気運が高まって本社機能が少数の地域にまとまる動きが重なったことによって、格差はより悪化した。
2007年以降、アメリカでは雇用創出の3分の2以上がわずか25の都市と郡に集中している。イギリスでも3つか4つの都市に、イタリアでもミラノと北部の数ヵ所の地域に雇用の増加が集中しているように、西側諸国の多くで同じ現象が見られる。
工業経済の柱として機能していた地域は、デジタル経済のなかで役割が減り、そこに住んでいた人たちは、どの方向であれひとつの政治的方向に凝りかたまるようになった。
私が育ったころのウェストバージニア州は、民主党の伝統である労働組合支持、労働者保護の意識を土台にした、アメリカでも指折りの左派的な州だった。21世紀の初めごろにその政治的指向は変化し、今日では神話と空想の時代へと戻りたがる、保守的で復古主義的な風潮に覆われている。
この方向転換は、昔からの外国人嫌いによるところもあるが、多くは経済的不安によって引き起こされている。20世紀半ばに中流階級を支えた組合傘下の高級職は消えさり、代わりに出てきた雇用機会は、生計を立てられるものばかりではなかった。
これと並んで、哲学者のマイケル・サンデルが言うところの「功績の呪縛」に伴う無気力感も原因に挙げられる。経済的に成功しさえすれば「何かを成しとげた」人物と見なされ、道徳的に社会に貢献しているかどうかにかかわらず、その人が何をするにしてもどのような人物であるかも、すべて経済的成功の点から正当化されるのだ。逆に、大学教育を受けておらず、裕福でもなければ、その人の地位は低く評価される。
富を創出してきた巨大都市では、政治指向は別のほうへシフトしていった。ニューヨーク、サンフランシスコ、ロンドンで労働者階級であることは、もはやそこに住む金銭的余裕がないことを意味する。住居費は天井知らずだ。日々、自分には分け前のない、他人の幸福ばかりを見せつけられる。これが、左派の政治運動の強力な基盤を形成した。