終戦後も続いた「欲しがりません勝つまでは」…年10%の経済成長を達成しても日本の会社が”戦時中”の給与制度を貫いたワケ

終戦後も続いた「欲しがりません勝つまでは」…年10%の経済成長を達成しても日本の会社が”戦時中”の給与制度を貫いたワケ
(※写真はイメージです/PIXTA)

日本の給与制度の根幹には、戦時中の賃金統制令で根付いた「最低限度の生活を保障する給与=生活給」という考え方があります。これを差別的として制度の見直しを命じたGHQに労働省官僚は反論し、その後交渉を重ねる中で日本独自の給与システムが形成されていきました。本稿では、平康慶浩氏の著書『給与クライシス』(日経BP日本経済新聞出版本部)から一部を抜粋し、日本企業の給与の成り立ちをみていきます。

給与の意味が変わってゆく

 

給与が時間に対して支払われるようになったのは決して古い話ではない。

 

封建主義以前の時代においては、通貨による労働対価の支払いという概念は一般的ではなかった。18世紀から始まる資本主義の発展に伴い、工場労働者に対する労働対価として給与という仕組みが広まったと考えられる。

 

ただしそこでは時間給というよりは日給や週給、月給という単位で給与が支払われていた。またほどなく生産性の概念から、出来高払いという仕組みも登場した。

 

戦時中から戦後にかけての日本の給与については、複数の研究者がそれぞれの思いを述べており、一様に判断することが難しい。ただ、少なくとも、戦時中の賃金統制令をもとにした生活給概念をベースに、歴史的な変遷を経て、年功に基づき昇給する、能力主義的な給与体系を完成させたということはいえるだろう。

 

またその際に、世界的に一般的ともいえる外部労働市場に基づく「職務(ジョブ)」概念ではなく、あくまでも特定企業内での人材活用を前提とした内部労働市場に基づく制度構築が進んでいったことがわかる。

 

当時の資料を調べていくと、戦時中の賃金統制令に基づく全体主義思想を維持しようと努めていた労働省官僚たちの取り組みが見えてくる。

 

GHQが戦時中の賃金統制令に基づく生活給的な給与制度を差別的だとして、女性に対する差別の廃止や、生活給ではなく外部労働市場に基づく職務(ジョブ)型の仕組みにすることを命じたことに対して、徹底して反論し、根気強い交渉を行うことで、戦前には当たり前だった男性優位かつ男性を中心とした家制度的な概念に基づく給与の仕組みを維持しようとしていたように見える。

 

現在の常識では否定的に書かざるを得ないが、1947年に新民法が制定されるまで、明治民法において家制度が定められ男性が戸主権を持っていたのが当時の日本だ。そのような常識で育ってきた人々に、いきなりアメリカ式の民主主義的発想を導入すべしと迫ったところで理解はできなかっただろう。

 

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給与クライシス

給与クライシス

平康 慶浩

日経BP日本経済新聞出版本部

同じ仕事をしている限り、給与は「ずっとそのまま」の時代!? これからやってくる”ジョブ型”時代を僕たちはどう生きるか―― ”そうはいっても、日本はまだまだ年功序列でしょ? ” ”なんだかんだ言って終身雇用は続く…

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