「子ども部屋おじさん」は“生贄”
そもそも中高年で親元に住む未婚者は「おじさん」だけではなく、「おばさん」もいる。その割合が「おじさん」に比べて「おばさん」が圧倒的に低いわけではない。
親元未婚の比率は男女ともほぼすべての年代で同一である。
国勢調査から20ー50代で比較してみても、男の親元未婚率は60%であり、女は62%だ。なんなら女の方が少し多いくらいである。また、2000年と2020年の親元未婚率を比較しても大差はない。
つまり、事実からいえば、わざわざ「子ども部屋おじさん」などという蔑称を使ってまで大手メディアが報道するようなものではないのである。むしろ事実と反する間違った記事によって、間違った印象を与えかねない点で害悪ですらあると思われる。
なぜこうした印象操作的な記事が出回ってしまうのか。
記者や専門家が単に無知だったという理由なら、お粗末ではあってもまだマシだったかもしれない。そうではなく、あえて「子ども部屋おじさん」という言葉を使いたい理由があることこそが危険なのだと思う。
つまり、生贄なのだ。
私は書籍でも記事でもインタビューでも同じことをずっといい続けているが、未婚化や少子化の要因というものは決して「個人の価値観の問題」などではない。経済環境や職場環境含めた社会構造上の環境問題である。
価値観が変わったのだとしたら、まずそれを変えるだけの理由となる環境があったはずで、価値観はその環境に適応したにすぎない。「若者が草食化したから未婚化になった」なんていい草は間違いであるという話は本書内でもご説明した通りである。
しかし、人間は社会構造の問題などという曖昧な理由では納得できない。というより安心できない。特定の誰かのせいにしたがる。
だから、自分たちの安心のために、悪者を作り上げてしまう。
古来、コミュニティ内の仲間意識や絆を強化するのに一番効果的なのは、コミュニティの外に敵を作ることである。敵がいるのだから、みんなが一致団結して協力しないといけないという気持ちを喚起できるからである。
外に敵がいるうちはいいが、もし適当な敵が外にいなければ、仲間内からでも敵を作りだし、これをみんなで排除することで新たな仲間意識を確認する。極左集団の内ゲバなどはその好事例だろう。
また、学校などでのいじめなどもこうした原理で発生する。
「子ども部屋おじさん」の件でいえば、少子化や未婚化の原因を「子ども部屋おじさん」を悪に仕立て、みんなの敵とし、彼らにその責任を一手に負わせることで安心を得ようとする人たちがいるのだ。